事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

クリストファー・ランドン『ハッピー・デス・デイ 2U』

 

前作についての感想を述べた中で、私は主人公ツリーが迷い込んだ時間が反復する世界のルールを次の様に説明した。

①ツリーが眠りから目覚めるところから「今日」は始まり、いかなる理由であろうと彼女が死んだ瞬間に時間が戻される。

②繰り返される「今日」の出来事は、時間が戻っても記憶として蓄積される。

②については本作でもそのまま継承されているが、①については若干の補足が為されている。実はツリーが通う大学では学生たちによる量子物理学の実験が行われており、ツリーが殺人鬼に殺される瞬間に、その実験によってタイムループが発生してしまった、という事らしい。いや、正確に言うとタイムループではなく、無限に存在する並行世界のひとつに迷い込んでしまったのだ。正直、この辺の理屈はよく分からないのだが、まあそんな事は映画を観ている内にどうでもよくなるのでかまわない。

重要なのは、この時間反復=並行世界への移動を人為的に行う事ができる、という設定が追加された事だ。実験機器の暴走によって並行世界に飛ばされてしまったツリーは元の世界に戻るため、前作から引き続き登場するカーターやライアン達と協力して機器を再稼働しようとする。

前作のストーリーをそのまま取り込み、より複雑化させたストーリーは、作中で示唆されている通り『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』へのオマージュだろう。従って、あくまでスラッシャー・ホラーの体裁をとっていた前作に対し、本作はスラップスティックなSFコメディとなっている。前作のネタバレも遠慮なくされているので、必ず前作を観てから臨む事をお勧めする。

監督脚本を担当したクリストファー・ランドンはホラー映画畑の出身だが、どうもヒューマンドラマやコメディ映画の方が向いている様で、本作でも主人公ツリーとその両親の交流を描いたシーンには泣かされてしまった。まあ、私が歳をとって涙もろくなっただけかも知れないが…

 

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観てない人なんているの?と言いつつ、私も『PART3』は観てない様な気が…『フォレスト・ガンプ/一期一会』や『キャスト・アウェイ』なんかもそうだが、自分がいるべき世界/時代が見つからない、迷子の様な感覚がロバート・ゼメキスの重要なモチーフなのかも知れない。

藤井直人『新聞記者』

 

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私は安倍晋三は歴代総理の中でもクソ中のクソだと思っているし、こんな政権は早く潰れろ、と心から願っている。伊藤詩織氏の事件にしろモリカケ問題しろ、日本のマスメディアは、権力に対して余りにも迎合的で本来果たすべき役割を見失っているのではないか。まあ、どうせマスメディアで働いている連中なんて権力志向丸出しのいけ好かない偽善者しかいないのだろうが…(偏見)

そんな絶望的な状況下で、こうした映画が全国規模で公開された事は意義深い。近年、ハリウッドでは『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』や『記者たち 衝撃と畏怖の真実』など、権力とマスメディアの闘いを描いた映画が続々と作られているが、本作はそうした流れに呼応したものだろう。もちろん、トランプ大統領安倍総理のメディア対応に相似性がある事の証だとも言える。

しかし、アクチュアルで重要な素材を扱っているからといって、イコール良い映画、となる訳ではもちろんない。残念ながら『新聞記者』は前述2作の様な映画的強度を持ち得ていないのだ。『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を明らかに意識した様なシーンがあるだけに、完成度の差が残酷なまでに浮かび上がってしまう。

私が最も不満を覚えたのは、この手の映画で最大の見所である筈の、記者たちの取材によって得られた情報が徐々に組み合わされ、やがて驚くべき真実が明らかになる、といった展開が無い事である。確かに、この映画にも「真実」は存在する。しかし、それは出来損ないの推理小説の様に安易な形で記者にもたらされるのだ。

要するに『新聞記者』というタイトルに反して、記者たちの取材活動の描写が非常に薄っぺらい。そして、その隙間を埋めるかの様に、日本映画お得意のウェットなエピソードが挿入される。吉岡記者の父親にまつわる回想シーンや、官僚杉原の子供が生まれるシーンなどが典型的だが、そもそも人物造形が余りに類型的なので、こうしたエピソードも胸に迫ってこない。どうも映画の主人公を新聞記者と官僚の2人に設定した事が裏目に出てしまっていると感じた。2人が対峙するラストシーンはなかなか良かったのだが…

ところで、本作で明かされる「真実」はなかなか壮大な内容だが、もちろんこれはエンターテイメントとしての脚色である。実際のモリカケ問題は、総理の奥さんがどうした、アホ官僚の忖度がどうしたという、しょうもない内容だったので、映画に相応しくないと判断したのだろう。しかし、安倍政権が官僚の自殺や公文書改ざんといったスキャンダルまで引き起こしながら、結果的に逃げ切ったのは、このしょうもなさに依るところが大きいのではないか。そう考えるとなかなか馬鹿にはできないのである。

 

 

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スピルバーグ近年の傑作。終盤の輪転機が回って新聞が刷り上がり、それが人々のもとへ配られていく、というシーンにスピルバーグのメディアに対する矜持が込められている。それは上流から下流へと広がっていくものであり、SNSの様に水平方向に拡散していくものではない。こちらは以前に感想を書いています。

 

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こちらは政治権力ではなく宗教とマスメディアの闘いを描いた作品。タブーに触れる、という意味ではこちらの方がより過酷な戦いを強いられた筈だ。

クリストファー・ランドン『ハッピー・デス・デイ』

 

ジェシカ・ロース演ずる本作の主人公、ツリーは、普通のホラー映画なら真っ先に殺される様なビッチである。男出入りが激しく、学友とも打ち解けず、いつも不機嫌そうな顔で憎まれ口をたたいている。観客が「早くこんな奴ぶっ殺されればいいのに」と思うタイプのキャラクターだ。

で、実際にこのツリーは映画が始まって早々、マスクをかぶった殺人鬼に襲われ殺されてしまうのだが、その瞬間に時間がその日の朝に戻り、彼女は全てが夢であったかの様に眠りから目覚める。いかなる理由からか、彼女は「今日」が反復する世界に迷い込んでしまったのだ。ホラー映画のお約束を覆す、見事な幕開けである。

この反復世界のルールは2つある。ひとつは、ツリーが眠りから目覚めるところから「今日」は始まり、いかなる理由であろうと彼女が死んだ瞬間に時間が戻される。もうひとつは、繰り返される「今日」の出来事は、時間が戻っても記憶として蓄積される。こうして、彼女は何度も何度も何度も殺されながら、蓄積されていく記憶を頼りに殺人鬼の正体を突き止めようとする。

フーダニット・サスペンスにタイム・ループというSF設定を持ち込んだ本作のプロットは、西澤保彦のミステリー小説『七回死んだ男』を想起させる。この作品でも、時間がループする「反復落とし穴」に落ち込んだ主人公が、何者かに殺された祖父を助ける為に犯人探しに奔走する。時間が反復する度に主人公は手掛かりをもとに犯人の正体を推理して殺人を阻止しようとするのだが、推理に穴がありことごとく失敗してしまう。この試行錯誤の連続によって、読者は同一の事象から複数の論理を導き出す知的興奮を味わう事ができる。

さて、『ハッピー・デス・デイ』はこうした犯人探しの要素をスラッシャーに組み入れた作品で、例えばウェス・クレイヴンの『スクリーム』シリーズや本作でもオマージュを捧げているダリオ・アルジェント監督作など、過去にもこのジャンルでは数多くの傑作が作られてきた。ただ、純粋なホラー映画として観た場合、本作はその特異な設定が故に機能不全を起こしている。通常は主人公が殺人鬼から必死に逃げたり隠れたりする姿に観客はハラハラするのに対し、この映画ではツリーが殺人鬼に殺される事を私たちはもう知ってしまっている。その為、ホラー映画らしい演出を強調すればするほど、どうせまた死ぬんだろ、と興ざめしてしまうのだ。この弱点は作り手も意識しているのだろう、反復が重なるにつれツリーが死ぬ場面はどんどんぞんざいな扱いになり、映画はコメディ色を強めていく。

だから、実は本作の面白さはホラー映画としてのそれではない。何度も同じ「今日」を繰り返すことによって、ヤケクソ気味な「毎日」を送っていた女性が今を精一杯生きる事の価値を知り、ひとりの人間として成長していく。彼女の性格がひねくれてしまったそもそもの原因も、反復する時間の中で克服すべき問題としてしっかり描かれていて、ある「和解」のシーンでは思わず目頭が熱くなってしまった。つまり、『ハッピー・デス・デイ』はれっきとした青春映画なのである。その意味で、本作は前述した『七回死んだ男』も影響を受けたハロルド・スミス監督作『恋はデジャ・ブ』にテイストが近い。ラストでもその事がはっきりと言及されている。

それにしても、本作でのジェシカ・ロースの演技は見事なものだ。序盤のあからさまにビッチ然とした佇まいから、時間反復を重ねる事によって誰もが恋してしまいそうなチャーミングな女性へと変わっていき、最後にはサラ・コナーばりの戦う女へ変貌する。彼女がいなければ、この映画の成功も無かっただろう。

 

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スクリーム [DVD]

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ウェス・クレイヴンの快作メタホラー。フーダニット+スラッシャーのお手本とも言うべき作品。

 

恋はデジャ・ブ [Blu-ray]

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ビル・マーレー主演のロマンチック・コメディ。同じ日が何度も繰り返される世界に迷い込んだ主人公が、「今日」の大切さを知り徐々に人間的成長を遂げていく。途中でやけくそになった主人公がありとあらゆる手段で自殺を試みる場面は、『ハッピー・デス・デイ2U』でも踏襲されている。

パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR あの歌、2つの心』

 

COLD WAR あの歌、2つの心 [Blu-ray]

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祖国から亡命しパリで音楽家として働く恋人、ヴィクトルを追ってきた歌手ズーラは、ヴィクトルの力添えによってレコードを出す事になる。楽曲はこの映画で何度も繰り返されるポーランドの伝統歌謡。楽曲はスタンダードなジャズ調にアレンジされ、フランス語の訳詞があてられる。しかし、ズーラはその詞に納得する事ができない。結局、ズーラはヴィクトルと喧嘩別れしポーランドに戻ってしまう。

彼女が不満を覚えた理由はいったい何だったのか。訳詞を担当したのがヴィクトルの元恋人である女流詩人だからだろうか。あるいは、親しんできた母国語から馴染みのない外国語に置き換えられたからなのか。おそらく、そのいずれでもないだろう。問題は「振り子時計は時を殺す」という、詩の内容そのものにある。訳詞を担当した詩人によるとこれはメタファーであり、「恋は時間を忘れさせる」という意味らしい。つまり、「振り子時計」は「恋によって揺れ動く心」の暗喩である。

しかし、ズーラとヴィクトルの恋は決して時間を忘れさせてくれるほど甘くはなく、逆に時の流れに何度も翻弄され、その度に心に癒しがたい傷を刻みつけられるものだった。共産主義体制下の母国では、国策によって歌舞団の一員として働き、スターリンへの賛歌を歌っていたズーラにとって「恋は時間を忘れさせる」などという太平楽な考えこそ「ブルジョア的」として糾弾すべきものだったろう。

従って、ズーラとヴィクトルの恋の道行を見守る観客は常に時間を意識させられる。時間を歴史と読み替えてみれば、ポーランドの厳しい歴史に思い至るだろう。時間と場所を示すテロップによって章分けされたこの短い映画は、彼らが時間軸を超えた永遠へ旅立とうとフレームアウトした瞬間に幕を閉じる。彼らが目指した永遠は、物語の序盤、ズーラが歌いながら浮かび流されていった川の行き着く先にある筈だ。

 

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芳華-Youth- [Blu-ray]

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中国とポーランド毛沢東スターリン。2作とも権力に翻弄される愛と芸術の行く末を描いている。『芳華-youth-』については、以前に感想も書きました。

 

リチャード・リンクレーター監督…というより、イーサン・ホークジュリー・デルピーとの共作と言っても過言ではない3部作。恋人たちにとって、時間は無限ではない。

何か面白そうな映画ある?(2019年7月前半)

あるよ。という訳で、現在上映中で気になっている映画を備忘録代わりにご紹介。筆者は奈良県在住の為、関西圏で公開中の作品に限られる。

 

パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR あの歌、2つの心

いかにも「名作ですよ」という感じのクラッシックな画作り(モノクロだからという訳でもない)で何となく内容が予想できてしまう…カンヌで監督賞を獲ったのだからそりゃ名作だろうと言われてしまうとそれまでだが。日本公開を心待ちにしていた1本。

 

ルーカス・ドン『Gilr/ガール』

これもセクシャルマイノリティとバレエ、というテーマで何となくこんな映画かなあ、と予想がついてしまうのだが。しかし、その手の映画では『ナチュラルウーマン』という予想外の展開を見せる作品があったりするから侮れない。

 

クリストファー・ランドン『ハッピー・デス・デイ』

こういう一発アイデアのホラーは公開中に観に行かないといけない。最近だと、『クワイエット・プレイス』が面白かった。ただ、シリアルキラーがかぶっているマスクが『ハロウィン』や『スクリーム』に比べていまいちパッとしない。7/12には続編の『ハッピー・デス・デイ 2U』が日本公開されるので、急いで観に行かなくては。


藤井直人『新聞記者』

安倍に似た総理大臣が空母の甲板で下痢を垂れ流しながらのたうち回っているところを新聞記者が袋叩きにする映画を期待してしまう。多分、そんな映画ではないのだろうが…こうした作品がいくつ作られても、結局は何も変わらない現実に対し、ガス抜きの役割しか果たさないのか。それはまだ分からない。その意味で、参議院選挙前に公開された事は意義深い。


菅原伸太郎『いちごの唄』

銀杏BOYZとかには全く興味がありません。ただ、岸井ゆきのが出演しているから観たいだけ。とりあえず『愛がなんだ』は絶対に観ておくべき傑作。


こんなとこかな。気が向いたら7月後半にも更新する予定。
 

フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』


フレデリック・ワイズマンの新作『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を観て驚くのは、金の話が非常に多いという事である。図書館の幹部たちはニューヨーク市からより多くの予算を獲得するためにはどうすれば良いのか、また民間からの寄付をどの様に集めれば良いのかを常に議論し続けている。公共施設というと何となく予算は予め決まっていてその範囲内でやりくりするだけと思っていたが、そのイメージは覆された。彼らは、より多くの資金を獲得するための努力を日々続けているのであり、本作でそうした姿を強調しているのはワイズマンのリアリズムに対する信念のなせる技だろう。

図書館側が資金を求めるのは、私たちが通常考えている様な図書館の役割―単なる「書庫」という範疇を大きく超えて、ニューヨークが抱える様々な問題に積極的に関わろうとしているからだ。本館以外に100近くの分館を有するこの図書館は、その地域に応じて労働問題や人種差別問題、貧困問題などありとあらゆる分野に対応したワークショップや講演会、生活支援などを行っている。その視線は常に社会的弱者に向いており、この様な施策実現のために市から予算を獲得しようとするのは、公共施設は「富の再分配」を担う機関であるべきだ、という理念が共有されているからだろう。

この多様な視点は蔵書の選定についてもはっきりと反映されている。予算を獲得するには読者の多い=売れている本を数多く揃えるべきである。しかし、彼らはどんなに専門的で読者が少ない本でも、文化の保全という意味において蔵書に加えるべきだと主張する。実際、この映画で映し出される図書館の利用者たちの中には、一体そんな事を調べて何の意味があるのか、と疑問に思う様な事について図書館に助けを求める者が数多くいる。そして、図書館のスタッフたちは感嘆すべき知識と熱意をもって、利用者たちの相談に応えていくのである。

昨今、わが国では売れない本は存在する意味が無いとばかりに、独善的な態度を態度を示して恥じない出版社が話題になっている。彼らに欠けているのは出版事業が文化の一部を担っているという自負と、どんな本であれそれを必要としている人がどこかにいる、という想像力なのではないか。要するに、公共意識が欠落しているのだ。

ニューヨーク公共図書館の前に立つ2頭のライオン像には、各々「Patience(忍耐)」及び「Fortitude(不屈の精神)」という名前が付けられている。わが国の文化的貧困を救うには、私たちがこの2つの理念を忘れる事なく、声をあげ続けるしかない。テアトル梅田は連日満員で立ち見客まで出る盛況ぶりだった。ここに集う人々の姿に希望を感じたのは私だけではないだろう。

 

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永遠の0 Blu-ray通常版

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観てないけど。

 

海賊とよばれた男 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2017/07/05
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観るつもりもないけど。

今泉力哉『愛がなんだ』

 

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中目黒のクラブミュージックがガンガンにかかっているお洒落なバーに呼び出された成田凌が、明らかに自分とは生きている世界が違うパリピに囲まれて居心地の悪い思いをしながら、ボッチになっている事を気づかれたくないので(あるいは自分で気づきたくないので)、周りの話にあいづちを打ちながら必死に会話に加わっている風を装う。

勝手にふるえてろ』で無理やり勤め先の飲み会に誘われた松岡茉優が、トイレに行くふりをして店を出るなり「Fuck!Fuck!Fuck!」と大声で叫ぶシーンには思わず「わかる!」と立ち上がりそうになったものだが、それに匹敵する名場面である。このシーンとその成田凌に飲みに誘われた岸井ゆきのが、その場で紹介された江口のりこに彼が想いを寄せている事実を突き付けられ、その帰り道に突然フリースタイルラップで江口のりこをDisり始めるシーンを見るためだけにでも映画館に走る価値はあると断言しよう。

さて、上述した2つの酒席では成田凌のテンションが天と地ほども違い、自分のフィールドでは他人に目もくれずにはしゃぎ回るくせに、いざ外に出ると途端に委縮する彼の性格が簡潔に示されている。もちろん誰にだってこうした経験には覚えがある筈だ。自分が自分らしく振る舞える領域という事なら、まずは自宅が思い当たるが、ならば他者とのコミュニケーションにおいて優位に立とうとするには、その人を自分の家に招くのが最も効果的であるに違いない。

この映画の恋愛相関図で優位に立つ成田凌深川麻衣は、常に岸井ゆきの若葉竜也を自分の家に招く。中目黒の飲み会の帰り道、初めて成田凌岸井ゆきのの家を訪れ身体を求めるのだが、この時に限って彼の男性器は機能しない。このエピソードは、自らのフィールドから外に出ると彼がいかに自信を失ってしまうかを如実に示しているのだし、実際、彼はその場で自分は人に好かれる様なものを何も持ち合わせていない、と自嘲気味に語る。

この様に、言わば地勢的な支配関係が成立した恋愛映画において、それでは彼らの変化はどうやって訪れるのか。端的に言えば「他者の領域から発せられた言葉」という事になるだろう。成田凌が己の振る舞いの残酷さに気付いたのは、岸井ゆきのの親友である深川麻衣からの電話だったのだし、若葉竜也が従属的な恋愛関係を断つ事を決意したのは成田凌の何気ない言葉からだった。今まで犬の様に呼びつけるばかりだった若葉竜也の個展を訪れた深川麻衣の変化は、岸井ゆきのとの喧嘩をきっかけにもたらされる。自らが成長、変化する端緒は常に他者や外部に存在するという、青春映画における正統な倫理観がここでも働いているのだ。

さて、それでは他者の言葉にいっさい耳を傾けようとせず、過去の自分としか向き合おうとしない岸井ゆきのは何をきっかけに、どの様に変化したのだろうか。実は、本作の難解さはこの1点に集約しているのだが、彼女が最後につぶやく言葉とラストの象の飼育場面から想像するに、彼女は「招かれる」自分を脱ぎ捨て、「招く」側に移り変わろうとしているのかもしれない。彼女の選択は恋愛映画のフォーマットからは大きく外れたものだが、そもそも『愛がなんだ』は恋愛映画ではないのである。

 

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勝手にふるえてろ [Blu-ray]

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ディスコミュニケーション系恋愛映画の傑作。以前に感想を書いています。 私たちが恋愛映画にカタルシスを覚えるのは、何も愛する2人が結ばれた時だけではない、という事がよく分かる1作。

 

正しい日 間違えた日 [DVD]

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今泉力哉監督は日本のホン・サンスと呼ばれているそうで。こちらは以前に感想を書きました。