事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

大九明子『勝手にふるえてろ』

 

勝手にふるえてろ [Blu-ray]

勝手にふるえてろ [Blu-ray]

  • 発売日: 2018/06/06
  • メディア: Blu-ray
 

1カット、1シーンごとに、これはとてつもない事がスクリーンの上で起きているのだと実感し、とにかくこの至高の映画体験が終わらない事を心から祈らずにはいられない映画など、そうあるものではない。とんでもない傑作だ。会社の飲み会でも同窓会でも何でもいい、そうした場の隅っこでつまらなそうな顔を浮かべ黙りこくっている人間が1人か2人はいるだろう。周囲の人間は彼らを見て無口で陰気な奴だと思うに違いない。しかし、そうではないのだ。彼らの心の中には溢れる程の言葉が湛えられている。ただ、それを受けとめてくれる相手に出会えていないだけなのだ。行き先を失った言葉たちは、心の中でぐるぐると渦を巻くしかない。映画の中盤、それまでの過剰な対話場面(ダイアローグ)が単なる一人語り(モノローグ)に過ぎなかった事が明かされる。それは、松岡茉優演ずる主人公が、10年間想いを寄せていた男「イチ」に名前すら覚えて貰っていなかった事が契機となるのだが、その時、背後から彼女の名前を呼ぶ者が現れる。以前から彼女に(多分に一方的な)好意を抱いていた同僚の「二」である。並みの映画なら、ここから甘ったるいラブストーリーを展開させ、大団円の結末へとなだれ込むだろう。しかし、本作はそれ程ヤワな作品ではない。一(単数)が完全な二(複数)になる為には、一方が相手を認識し、呼び掛けるだけでは足りない。それでは結局、ひとりよがりなモノローグのバリエーションに回収されてしまうからだ。ダイアローグとは、呼び掛けられた相手がまた名前を呼び返すところから始まらなければならない。罵倒の応酬の果てに辿り着くラストシーンが感動的なのはその為だ。映画のラストで、主人公は映画のタイトルを高らかに叫ぶ。そう、世界から締め出され孤独に押し潰されそうな人間は、勝手にふるえていればいい。その震えは、薄い壁から漏れ聞こえるオカリナの音の様に伝播し、やがて協奏してくれる相手の元へと届くだろう。Call My Name!