パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR あの歌、2つの心』
祖国から亡命しパリで音楽家として働く恋人、ヴィクトルを追ってきた歌手ズーラは、ヴィクトルの力添えによってレコードを出す事になる。楽曲はこの映画で何度も繰り返されるポーランドの伝統歌謡。楽曲はスタンダードなジャズ調にアレンジされ、フランス語の訳詞があてられる。しかし、ズーラはその詞に納得する事ができない。結局、ズーラはヴィクトルと喧嘩別れしポーランドに戻ってしまう。
彼女が不満を覚えた理由はいったい何だったのか。訳詞を担当したのがヴィクトルの元恋人である女流詩人だからだろうか。あるいは、親しんできた母国語から馴染みのない外国語に置き換えられたからなのか。おそらく、そのいずれでもないだろう。問題は「振り子時計は時を殺す」という、詩の内容そのものにある。訳詞を担当した詩人によるとこれはメタファーであり、「恋は時間を忘れさせる」という意味らしい。つまり、「振り子時計」は「恋によって揺れ動く心」の暗喩である。
しかし、ズーラとヴィクトルの恋は決して時間を忘れさせてくれるほど甘くはなく、逆に時の流れに何度も翻弄され、その度に心に癒しがたい傷を刻みつけられるものだった。共産主義体制下の母国では、国策によって歌舞団の一員として働き、スターリンへの賛歌を歌っていたズーラにとって「恋は時間を忘れさせる」などという太平楽な考えこそ「ブルジョア的」として糾弾すべきものだったろう。
従って、ズーラとヴィクトルの恋の道行を見守る観客は常に時間を意識させられる。時間を歴史と読み替えてみれば、ポーランドの厳しい歴史に思い至るだろう。時間と場所を示すテロップによって章分けされたこの短い映画は、彼らが時間軸を超えた永遠へ旅立とうとフレームアウトした瞬間に幕を閉じる。彼らが目指した永遠は、物語の序盤、ズーラが歌いながら浮かび流されていった川の行き着く先にある筈だ。
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