事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

S・S・ラージャマウリ『RRR』

とてつもないスケールと熱量で語られるインド独立をめぐる神話

この記事の草案を練っているタイミングで、『RRR』劇中歌の「Naatu Naatu」がゴールデン・グローブ賞で歌曲賞に輝いた、とのニュースが飛び込んできた。『バーフバリ』二部作の圧倒的な完成度で世界を驚愕させた、S.S.ラージャマウリ監督の最新作はインドのみならず世界中で大ヒットとなり、日本でもインド映画としては最も高い興行成績を記録している(これまでの最高記録は『ムトゥ 踊るマハラジャ』)。それを受けてIMAXでの再上映も決定したそうだ。
それにしてもなぜ、私たちはラージャマウリ監督の作品に魅了されるのか。大きな理由のひとつとして、彼の作る映画が様々な面で規格外であり、それがハリウッド的な映画文法に慣れた人々にとって新鮮に映る、という事が挙げられるだろう。そもそも、いかなる映画にも歌や踊りのシーンが必ず挿入される、というインド映画のフォーマット自体が(アメリカやヨーロッパの映画に比べて)過剰な訳だが、ラージャマウリの作品はそれだけに留まらない。VFXを多用したド派手なアクションはもちろん、王道を抑えつつ超展開をみせるプロット、アップやスローを多用したコテコテの演出など、メガ盛りてんこ盛りが常である。監督自身が「私の作品はかなり大仰で、やりすぎ、行き過ぎな感じがあると思う」と語っているとおり、彼の作品はインド映画の範疇すら超えた過剰さをはらんでいるのだ。
個人的に、ラージャマウリの作品は1980年代に最盛期を迎えた香港映画の様な無茶苦茶さと途轍もないパワーを継承している様に思う。そして、共にイギリスの植民地であったインドと香港から世界を席巻する映画が続々と生まれた事をポスト・コロニアリズム的な観点から読み解く事も可能だろう。インドも香港も共にハリウッドからの影響を強く受けながら、自国文化を映画のモチーフとして積極的に取り入れる事でアイデンティティを再発見し、西洋文化民族主義を折衷した、極めて特異な作品世界を形成してきたからである。西欧文化に対するアンビバレントな想いと自国のルーツを再び獲得しようとするナショナリズムが結びついた時、ゴールデン・ハーベスト社のカンフー映画が生まれたとするなら、ラージャマウリの作る史劇もまた、そうしたナショナリズムと無関係ではないだろう。
本作は、実在の独立運動指導者コムラム・ビームとアッルーリ・シータラーマ・ラージュを主人公にした冒険活劇の構造を有するが、架空歴史ものとしての要素も盛り込まれている。実際にはその生涯で出会う事のなかった2人の英雄をラージャマウリは虚構の世界では友人として結びつけた。彼らの友情と愛国心がイギリス帝国主義を打ち砕く本作のプロットは、単なるエンターテインメントの枠を超えた、インド独立をめぐる新たな神話なのである。エンディングに登場する5つの肖像画は、ヴァッラブバーイー・パテールを始めとして全てインド独立に尽力した政治家や活動家たちだが、本作の主人公であるビームとラーマもまた、彼らと並び称される神々の1人なのだ、という事なのだろう。その意味で、エンディングにラージャマウリ監督自身が登場しているのも、自分がインドの新たな神話を紡ぐ語り部なのだ、という自負のあらわれなのかもしれない。

 

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