事件前夜

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片山慎三『さがす』

過去にとらわれ、未来を断ち切り、現在をさがす

デビュー作『岬の兄妹』で新人離れした手腕を見せつけた片山慎三の新作は、 佐藤二朗、伊東蒼を主演に迎えたサスペンス/スリラーである。どことなく中上健次っぽい空気感を漂わせた前作(そういえば、中上健次芥川賞受賞作は「岬」という小説だった)に対し、本作は商業デビュー作という事もあってか、ジャンル映画的な楽しみに満ちたエンターテインメントに仕上がっている。2020年の短編映画『そこにいた男』がその前年に起きた「新宿ホスト殺人未遂事件」から材を採っていた様に、今作も2018年の「座間9人殺害事件」に着想を得ている様だ。ただ、清水尋也演じる連続殺人犯「名無し」は、その容赦のない鬼畜っぷりが強いインパクトを残すものの、様々な映画で描かれた様な、既視感のある造形に留まっておりキャラクターとしての新鮮味は薄い。映画『さがす』の特筆すべき点はむしろ、こうした殺人鬼が跋扈するサイコスリラー的なプロットに、大阪あいりん地区に住む父と娘のドラマを(いささか強引に)接ぎ木している点にあると言えるだろう。
というと、本作は前2作『岬の兄妹』と『そこにいた男』を折衷したものと受け取られるかもしれない。確かに、貧しい暮らしを営む家族のユーモラスな物語という意味では『岬の兄妹』にテイストが近く、殺人者「名無し」が登場するシーンの暴力描写は『そこにいた男』のクライマックスを思わせもする。しかし、水と油とも言えるこの2つの要素が有機的に結びつき、そこから未知の物語が立ち上がってくる点にこそ、『さがす』の独自性を認めるべきだろう。それは、失踪した父、原田智を探す楓がある離島で父の居所を発見する場面を境に、「3ヵ月前」「13か月前」と時系列を遡行していく本作の構成によって観客にもたらされる。こうした語り口そのものは、ミステリーにおける「種明かし」の常套手段で取り立てて珍しいものではない。冒頭で本作を「エンターテインメント」と評したのはその為だ。ミステリーとは「謎」の存在する「現在」から、「真相」の待ち受ける「過去」へと遡っていく構造を有している。従って、最後にどれほど意外な「真相」が用意されていたとしても物語の構造そのものは堅持され、どの様な作品もある種のバリリアントとならざるを得ないだろう(もちろん、ミステリーとはそうした不自由性を積極的に受け入れたジャンルではある)。
しかし、『さがす』はその様な「種明かし」で終わる作品ではない。「現在」から「過去」へと遡っていく物語はやがて、「過去」に囚われるあまり他者の、そして自らの「未来」を断ち切る事に救いを求める男の言いようのない孤独を描き出すだろう。自殺志願者である女「ムクドリ」と智が公衆トイレで泣きながら抱き合う場面は感動的だ。「過去」に囚われた男と、「未来」を捨て去ろうとする女が「父のにおい」という記憶を通じて繋がりあう。異なる時間、あるいは異なる空間を生きている筈の人々が不意に交接する瞬間を、片山慎三は「現在」だと捉えているのであり、本作が数多くの登場人物が出会う(それが好ましいものであれ、嫌悪を催すものであれ)場面を繰り返し用意している事からもそれは分かる。もちろん、映画の最後に用意された、卓球のラリーを続ける父と娘の姿を長回しの固定ショットで捉えた場面もまた、「過去」と「未来」の間を(ピンポン玉の様に)往還する人々が体験する「現在」として提示されている事は言うまでもない。

 

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2019年に実際に起きた殺人未遂事件と、週刊誌に掲載された事件現場の写真からインスパイアされた短編映画。脚本は『あのこは貴族』の岨手由貴子が担当している。