事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

リサ・ジョイ『レミニセンス』

忘却と追憶―「水」の両面性が、登場人物たちの運命を左右する

この映画、予告編や公式サイトでは『インセプション』との類似をほのめかしつつ、クリストファー・ノーランの弟であるジョナサン・ノーラン制作という点を大きくアピールしていて、監督、脚本を務めたリサ・ジョイのキャリアについてはほとんど触れられていない。その為、HBOの大ヒットTVドラマ『ウエストワールド』の製作に携わっていたぐらいの事しか分からないのだが、いずれにせよ本作の堅実な出来栄えは監督、脚本を務めた彼女の手腕によるところが大きいだろう。はっきり言って、映画的な完成度という面では『インセプション』などより数段上である…というと、怒る人がいるかも知れないが、私は『インセプション』を数あるノーラン映画のなかでも一、二を争う駄作と思っているのでご容赦頂きたい。
『TENET テネット』評の中で、私はクリストファー・ノーランが好んで用いるモチーフとして「時系列の操作」と「操り」を挙げた。これらのモチーフは『レミニセンス』でも共有されており、その意味で本作は極めてノーラン的な映画だと言う事ができるだろう。ただ、SF、ミステリー、ラブロマンスと様々なジャンル映画の要素をミックスさせた『レミニセンス』において、ノーラン的なモチーフはミステリー映画としての側面を補強する道具のひとつであり、主題と言えるものではない。私たちは過去といかに向き合い、いかに乗り越えていくべきか、という普遍的な問い(それはコロナ禍以降の世界でより重要さを増したように思える)こそが、本作を貫くテーマであり、シナリオ、キャスト、舞台背景など映画を構成する全ての要素がその為に組み立てられているのだ。
例えば、本作は温暖化によって全ての都市が水没した地球を舞台にしており、一部の富裕層だけが防波堤に守られた高台に家を持ち、ほとんどの庶民は浸水の恐怖に怯えながら日々を送っている。この設定そのものはそれほど珍しいものではない。J・G・バラードの『沈んだ世界』やケヴィン・レイノルズの『ウォーターワールド』など例を挙げればキリがないくらいだろう。この終末SF的な世界観と物語に関連性を見出せないと、ありきたりな設定を持ち込んだだけのSF映画で終わってしまう。本作における「水」はテマティックなモチーフとして読み解くべきであり、それは主題である「記憶」と密接に関りがある。
我が国でも何度も繰り返されてきた水害の例を見れば分かるとおり、水は時に凶暴な牙を剥き私たちの生活を脅かす。猛り狂う水流は私たちの財産や大切な人を流し去り、そこに蓄積されていた筈の時間すら奪ってしまう。「過去」の堆積の上に築かれていた「現在」は瓦解し、やがて私たちは「未来」を夢見る事すら諦める様になっていく。『レミニセンス』の世界に住む人々は抱える絶望とは、時間を奪われた者の絶望なのだ。
だからこそ、人々は記憶を遡り甘美な思い出の中に沈み込んでいく。記憶潜入装置に湛えられた水が「羊水」のメタファーである事は一目瞭然だ。それは私たちを優しく包み込み、疲れ切った心にひと時の安寧をもたらしてくれる。主人公ニックの操る記憶潜入装置が麻薬的な中毒性を有しているのは、それが人々の退行願望を刺激して止まないからである。緩やかに破滅へと向かう世界で、人々はただ甘い追憶にすがって生きていくしかない。
だが、過去が常に私たちを甘美な想いで満たしてくれるとは限らないだろう。本作の主要な登場人物であるニック、ワッツ、メイ、セント・ジョーは皆、自らの過去と向き合う事を恐れ、酒や麻薬に溺れている。水に足を取られているかの如く、過去に囚われ前に進めないでいる彼らの「依存」が、SFミステリーとしての本作の「謎」を生み出していく。
過去を押し流し消し去ろうとする水と、人々を包み過去の世界へと誘う水。その両義性が登場人物たちの運命を左右し、ハッピーエンドともバッドエンドとも取れない、奇妙なエンディングへと逢着する。本作でも引用されているギリシャ神話のオルフェウスは、毒蛇に噛まれて命を落とした愛妻エウリュデケを連れ戻しに死の国へと赴く。無事に妻を救い出す事に成功した彼はしかし、地上へと戻る途中で後ろを死の王ハデスの忠告に従わず後ろを振り返ってしまう。その瞬間、エウリュデケは姿を消し、オルフェウスは絶望のまま死んでいく事になる。ニックはメイにこの物語を語る際、結末をハッピーエンドに変えていた。この行為が、映画のニックの最後の選択の伏線でになっている事は間違いないが、では彼が選び取った運命はハッピーエンドなのだろうか。それともバッドエンドと言うべきなのだろうか。本作の結末は、私たちの倫理観を揺さぶり、居心地を悪くさせる。後味が良いのか悪いのかも判然としないこの曖昧さは確かに『インセプション』に近いかもしれない。