事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジョナ・ヒル『Mid90s ミッドナインティーズ』

よく考えると『パブリック 図書館の奇跡』から3本連続で俳優が監督した映画を取り上げている。まあ、俳優が映画を監督するなんて今まで幾らでもあった訳だが、この3本は非常に手堅いというか、無理に目新しい事をやろうとしていないのが良い。MVやCM出身の映像作家が映画に進出すると、新奇さばかり狙った下らないものを作りがち(それがまたメディアでもてはやされたりする)なのに対し、俳優が監督した作品はしっかりと地に足がついたものが多い。この辺りは、さすがに現場をよく知っている人間の強みなのかもしれない。
さて、『ジャンゴ 繋がれざる者』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で存在感のある演技を見せ、俳優としての評価も高いジョナ・ヒルの監督デビュー作は、自身が青春時代を過ごした1990年代半ばのストリートカルチャー、特にスケボーに材を取った青春映画である。スケボー以外にも『ストリートファイターⅡ』とかビル・クリントンのフェイスマスクとか、懐かしいガジェットがふんだんに盛り込まれ郷愁を誘う。1990年なんてついこないだじゃないか、と思うのは私がオッサンだからであって、もう30年近く前の話になるのだから、立派にノスタルジーの対象となり得る訳だ。スケボー映画らしく、A Tribe Called QuestWu-Tang ClanThe Pharcydeといったヒップ・ホップを中心としつつ、NirvanaPixiesといったオルタナティヴ・ロックも取り入れたサントラも隙が無い。ジョナ・ヒルはまず楽曲を選んだ後で、それぞれの曲に沿って脚本を仕上げたとコメントしており、その意味ではトレイ・エドワード・シュルツの『WAVES/ウェイブス』と同じ「プレイリスト・ムービー」と言えるのかも知れないが、本作の選曲は90年代半ばという時代の雰囲気を再現する事に重きが置かれている。
まず、冒頭のシーンが強いインパクトを残す。いつも兄のイアンに虐められている13歳の少年スティーヴィーが、兄弟喧嘩の末、イアンに壁へぶん投げられる場面である。少年が顔面を強打した瞬間、ビターン!と物凄い音がする。おいおい、死んだんじゃないか、と心配になるぐらいである。ここで観客はグッと映画に引き込まれるに違いない。非常に巧みな導入部であると共に、スティーヴィーはこの後も、死ぬぐらいの大怪我を2度する訳で、実はその伏線にもなっている訳だ。
この後、スティーヴィーの日常が描かれていく中で、彼が抱える絶望の正体が少しずつ明らかになってくる。それは、人種や貧富の差を超え、90年代を生きていた人間が確かに共有していた感情である。自分はきっと、永遠にこのままで何者にもなる事はできないのだ、という諦めに似た確信。その閉塞感から逃げ出す為に、私たちはTVゲームやロック・ミュージックに夢中になった。スティーヴィーが入室を禁じられた兄の部屋に入り込み、CDアルバムのタイトルをメモし、壁に飾られたスニーカーに触れる場面には、サブカルチャーがここではない未知の場所へと私たちを連れ出してくれる、と信じられていた時代の高揚感が刻まれている。
そんなオッサンの思い出話なんかどうでもいいからさあ!結局は、自分の青春時代を特別なものと思い込みたいだけなんじゃないの?という声が聞こえてきそうだが、じゃかましい!誰にだって自分の生きていた時代を特権化する権利ぐらい認められてるんじゃ!と、世代間の見苦しい言い争いになりそうなので話を戻すと、もちろん今だって世の中は多種多様なカルチャーで溢れかえっている。ただ、決定的に違うのはインターネットが現在の様に普及していなかった90年代は、自分が決定的に影響を受けたカルチャーを誰かと共有したい、と思う人々は、自らの足で街へ出掛けなければならなかった事だ。それこそが、スティーヴィーにとって心の拠り所となる、ストリートを形成していく訳である。
その後、スティーヴィーは地元のショップに入り浸るようになり幾人かのスケボー仲間と出会う。彼が自宅の前でキックフリップの練習をする場面が幾度か挿入され、また使用するボードも兄のお下がりから本格的なものへと変化していくのだが、だからといってスティーヴィーはスケボーに本気で入れ込んでいる訳ではない。彼はプロスケータを目指すレイという黒人青年に崇拝に近い想いを抱いているが、それはスケボーの腕に魅了されたというより、自らの力で人生を切り開こうとするレイに自己を投影しているからだ。実際、この映画ではスティーヴィーがスケボーのテクニックについて、仲間に教えを請う様な場面はいっさい無い。
問題は、この退屈で出口の無い日常を変容させてくれる何か、だ。それは別にスケボーでなくても、アルコールでもドラッグでも何だっていい。例えば、同じく90年代半ばのストリートに生きる少年たちの姿をリアリスティックに描き、物議をかもしたラリー・クラークの『KIDS/キッズ』(スティーヴィーたちが車道の中央分離帯をスケボーで滑走するシーンはこの映画の引用だろう)の主人公テリーは、処女とSEXする事を生きがいにしている。だからといって、彼は別に特殊な性的指向を持っている訳ではない。単にそれが生きがいだと信じ込みたいだけなのだ。彼は、SEXの先にあるものに触れたい、と熱望する。しかし、その様なものが彼の前に現れる事は決してない。だから、『KIDS/キッズ』で描かれるSEXは、愛や快楽を求める行為というより、テリーの苛立ちが噴出した暴力的な行為に近いと言えるだろう。
前述した通り、スティーヴィーは劇中で2度も死ぬほどの大怪我を負う。イアンとの激しい兄弟げんかの後、死の衝動に駆られ電気コードを自分の首に巻きつけて自死すら試みる。それは、自分自身に対する暴力と言えるかもしれないが、にもかかわらず彼はおめおめと生き延びてしまう。いくらもがいても、昨日と同じ様な今日がやってくる。その絶望的な繰り返しの中で無様な姿をさらしながら、彼はやはり前へと進み続けるしかない。真新しいスケートボードに乗って、派手なトリックを決めるでもなく、恐る恐る走り出す彼の行く先に、ジョナ・ヒルは暖かな眼差しを注いでいる。

 

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ジョナ・ヒルも影響を受けたと公言する。ラリー・クラークによる衝撃作。全編を通じて救いのない、乾いたタッチが徹底されているのは、ノスタルジーという視点が全く介在していないからだろう。脚本を手掛けたのは、『ガンモ』のハーモニー・コリン

 

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その『KIDS』をプロでユースしたガス・ヴァン・サントが2007年に監督したスケボー映画。主人公が本当の不良というより、スケーターやそのカルチャーに憧れる存在に過ぎない、という微妙な距離感は『Mid90s ミッドナインティーズ』に近いかもしれない。