事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

アスガル・ファルハーディー『英雄の証明』

ファルハーディーのエンターテイナーぶりがいかんなく発揮された秀作

義兄から借りた金が返済できず、刑務所に収監されたラヒムは2日間の休暇を得て仮出所する。彼が遺跡の保存作業に従事する姉の夫ホセインに会う為、クセルクセス王の墓に赴く場面から映画は始まるのだが、ここで重要なのはホセインに会う為に木と鉄パイプで組み上げられた足場を上ってきたラヒムに対し、ホセインが開口一番、下へ降りようと促す事である。義弟の借金問題について同僚に話を聞かれたくなかったのか、その理由は明らかにされないのだが、まるで彼が高所に立つには相応しくない男だ、とでもいう様に長い階段を上ったばかりで息を切らせているラヒムを再び階段に向かわせようとするホセインの姿に、私たちは不吉な予感を覚えざるを得ない。
主人公である元看板職人ラヒム・ソルタニが拾った金貨を着服せず、持ち主を探して返した事がマスコミに取り上げられ一躍時の人となるものの、やがて社会的信用を失い詐欺師呼ばわりされるという運命の皮肉を描いた本作にとって、このオープニングは象徴的な意味を持つ。私たちにはあまり馴染みのないイラン文化に根差した映画ではあるものの、メディアと大衆がこぞってヒーローを作り上げ、それが彼らの期待に反するや手の平を返した様にバッシングを始める、といった風潮はどの国でも見られるものだし、それに否応なく巻き込まれた男の悲嘆は私たちにも十分に理解できる。SNSを媒体とする誹謗中傷が社会問題化している昨今、実にタイムリーな題材だと言えるだろう。
近年はフランスやスペインを舞台にした映画も撮っているアスガル・ファルハーディー監督だが、彼の映画はイランを舞台にしていようと、西欧諸国を舞台にしていようと、基本的にはあまり変わらない。もちろん、イランで撮られた作品の場合はイスラム教を始めとする、西欧諸国にはあまり馴染みのない文化についての描写が増える訳だが、ファルハーディーの場合はそうしたイラン社会のローカル性よりもっと普遍的な、例えば些細な感情の行き違いや人間関係のもつれ、日常生活のふとした隙間に生ずる悪意、といったものを描く事に重きを置いているからだ。また、脚本家からそのキャリアをスタートさせた事もあってか、ファルハーディーの映画は例えばアッバス・キアロスタミの様なミニマルな作風ではなく、起承転結のはっきりしたシナリオが用意されている事が多い。完全に誘拐サスペンスとして作られた『誰もがそれを知っている』などはそのいい例だろうが、例えば、離婚を間近に控えた夫婦の葛藤を描く『別離』という作品でも、中盤からある事故をめぐる証言が嘘なのか真実なのか、というミステリー的要素がクローズアップされていき、終盤に真相が明かされるに至っては序盤に張られた伏線を回収するという仕掛けまでが用意されている。国際映画祭で何度も受賞歴のある監督なので、何となくアート系の地味な作風を想像するかもしれないが、実はアスガル・ファルハーディーはハリウッド的なエンターテインメント指向を持つ映画作家なのだ。
なるほど、本作においても西欧社会の常識に囚われた私たちにとっては驚くしかないイラン社会の実像―借金を返せないからという理由で刑務所に収監されてしまうという法律や、囚人に休暇を与えて外出を許可する裁判所の運営管理-が描かれはする。しかし、こうした描写はイラン社会の実相をリアルに表現する為ではなく、タイムリミット・サスペンスとして本作を成立させる為に導入された仕掛けと考えた方がいい。その意味でファルハーディーのエンターテイナーぶりがいかんなく発揮された秀作と言えるだろう。
さて、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、アカデミー賞の外国映画賞にもノミネートされていた本作だが、思わぬかたちでミソが付いた。ファルハーディーの教え子である女性が、自身の撮ったドキュメンタリー作品の内容を盗作された、と訴えたのだ。『All Winners, All Losers』という名のそのドキュメンタリーは、借金の為に投獄された囚人が休暇の一時出所時に大金の入った鞄をを拾い、それを持ち主に返却した事が広く伝えられて時の人になった、という内容らしい。それだけを聞けば完全にファルハーディーがパクった様に思えるが、そもそも両作品の元ネタは現実に起きた事件なのである。それを一方はドキュメンタリーとして描き、もう一方はフィクションに仕立てた訳で、『英雄の証明』ではサスペンス/スリラー映画として必要な要素をファルハーディーが独自に盛り込んでいる以上、これを盗作というのは無理がある様に思う(もちろん、問題はイランの裁判所がどう判断するか、というローカル性に関わってくる訳だが)。しかし、この事件をファルハーディが知ったきっかけが原告のドキュメンタリーだったとするなら、事前に「そのネタ面白いから、俺も使っていい?」と言っておくぐらいの義理は通すべきで、その辺のコミュニケーション不足がこの騒動の原因なのかもしれない。いずれにせよ、件のドキュメンタリーはYou Tubeなどにもアップされている訳で、それを実際に観て判断するならともかく、ファルハーディーが盗作疑惑で訴えられたというニュースだけが伝播し、挙句には有罪判決が降りた、という誤報までSNSで飛び交っているのだから、ネットリンチを題材とした本作にとってあまりにも皮肉な帰結と言えるだろう。