事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

マシュー・ヴォーン『キングスマン:ファースト・エージェント』

前2作のデタラメさは後退し、歴史活劇として落ち着いた仕上がりに

このシリーズを心待ちにしている人ってどれぐらいいるんだろうか…正直、私は前作の『キングスマン:ゴールデン・サークル』でお腹いっぱい、という感じだったのだが、プリクエル的な位置づけである今作を挟んで、既に次回作の撮影も進行中らしい。しかし、そもそもシリーズ化に向いていないものを無理やり引っ張っている様な、苦しい印象がどうしても否めないのである。
そもそも一作目はジェームズ・ボンドを思わせる格調高き英国スパイ、ハリーが不良少年のエグジーにその座を継承する、というかたちで幕を閉じた。老スパイと新人スパイの価値観の違いとか、ストリートチルドレンが一人前の英国紳士へと変貌していく姿とか、そうしたギャップが楽しかった訳だ。であるが故に、続編となるとなかなか難しい側面があって、例えば成長したエグジーを主人公にしたスパイ映画、という事なら何の変哲もない007の亜流で終わってしまう。マシュー・ボーンも困ったのだろう、第2作『キングスマン:ゴールデン・サークル』では死んだ筈のハリーが実は生きていた、というかたちで1作目のコンビを復活させる。しかし、それだと前作の「継承」というテーマは何だったんだ、という話になる訳で、どうも監督自身が『キングスマン』の続編を望む製作会社の意向に振り回されている感は否めなかった。その一方で前作のメンバーを皆殺しにするなど、シリーズそのものに対するアンビバレントな感情が見え隠れしたものだが…
で、その制作会社20世紀フォックスがディズニーに買収されたり、コロナ禍で公開が延期されたり、紆余曲折を経ての今作である。今回は主人公が属する諜報機関キングスマン」誕生の秘密が明かされる、という触れ込みで、時代背景も第一次世界大戦の前夜にまで遡る。主人公オーランド・オックスフォード公が戦うのは、世界を混沌と暴力で覆い尽くそうとする秘密結社「闇の狂団」。その幹部にはラスプーチンマタ・ハリ、ガヴリロ・プリンツィプ、レーニン、エリック・ヤン・ハヌッセンなど、歴史上の重要人物が並ぶ。1914年にガヴリロ・プリンツィプが起こしたサラエボ事件を契機に、欧州は戦禍の渦に飲み込まれていくのだが、その裏には「闇の狂団」の暗躍があった、というのが本作の軸を為す設定である。正直、この陰謀論じみた偽史的世界観はあまり面白くない。せっかくこれだけの面子を揃えたのに(マタ・ハリとかハヌッセンなんてそれだけで映画の題材になる様な人物だし、実際に伝記映画も撮られている)、その歴史的役割や人間としての個性が深く描かれる訳でもなく、ストーリーに対するちょっとした味付け程度の役割しか果たしていないからだ。本作はあくまでスピンオフであり、この路線が今後も継続できるかどうか分からないので、1作で決着を付けなければならなかった、というのは分かるが、各キャラのエピソードがあまりにも駆け足で処理されていて少々もったいない気がした。更に言えば、ガヴリロやレーニンといった人物を一括りに「世界に混乱を引き起こした悪者」として扱う態度に、いかにもイギリス人らしい西欧中心主義的な傲慢さが見え隠れして気になったのだが…
いずれにせよ、本作は過去に材を採り歴史活劇としての側面も併せ持った為、映画全体のトーンも前2作に比べずいぶんと落ち着いたものになった。賛否両論あった下ネタやり過ぎの暴力描写は影を潜め、誰もが楽しめるエンターテインメントに仕上がっている。もちろん、それを支えているのがマシュー・ボーンのアクション演出の確かさであるのは間違いないが、それにしてもこうした作風の変化はスピンオフという事で意識的に設けられたものなのか、それとも20世紀フォックスがディズニーに買収された事が影響しているのか、はたまたこれが映画作家としての成熟というやつなのか、気になるところだ。今作と合わせて撮影されていたと聞く第4作がシリーズの命運を握っているのかもしれない。