事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

オリビア・ワイルド『ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー』

アメリカの学生にとって、プロムと呼ばれる高校卒業パーティは一世一代のイベントらしく、これまでも様々な映画で題材にされ、ひとつのジャンルを形成するにまで至っている。しかし、普段からクラスの人気者でモテモテの学園生活を送ってきた奴がプロムで大いにエンジョイする、なんてお話だったら誰も観たくない訳で、モテなかったりいじめられっ子だったり家が貧乏だったりする主人公が、プロムに参加する事によって自己肯定のきっかけを見出したり、逆に絶望のどん底に突き落とされたり、とにかく何らかの屈託がテーマになってきた訳だ。無事ハッピーエンドに着地する例として『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』や『シーズ・オール・ザット』といった作品がある一方、その反対にプロムに対する呪詛をぶちまけた作品として『キャリー』や『プロムナイト』といったホラー映画が存在する。
さて、こうしたプロム映画とは別に、女にモテないボンクラ男子がSEXする為に右往左往して七転八倒する、童貞ものというジャンルも『ポーキーズ』の昔から存在してきた。その2つのジャンルを組み合わせた例として、セス・ローゲンが脚本、ジャド・アパトーが製作を担当した青春コメディの名作『スーパーバッド 童貞ウォーズ』が挙げられる。とはいえ、この作品は憧れの女の子をゲットするとかしないとかいった話に落着する訳ではない。モテない筈の主人公2人を密かに慕う女性がいた、という都合の良すぎるプロットはいかにも男の妄想めいているし、いかにも男子高校生が喜びそうな下品なギャグなど、それがジャンル映画的なお約束とはいえ女性が観たら気分を害する様な点も多い作品だとは思う。しかし、主人公のセスとエヴァンがそれぞれ意中の女性とショッピングモールで偶然出会い、カップルになるラストシーンでは、それまで支配していたおバカな空気が一変し、決定的な何かを失ってしまった喪失感が露呈していた。異性、という他者を知ってしまった瞬間、モテない男たちの―それはそれで幸福だった―ホモソーシャルな関係性は終わりを遂げてしまったのである。
2009年にブラックリスト(映像化されていない脚本と業界関係者のマッチングサイトみたいなもの)入りしていた『ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー』は当初、この『スーパーバッド 童貞ウォーズ』の女性版、といった形で構想されたのだろう。この逆転の発想は、仲良し女子高生3人組がプロムの晩にヴァージンを失おうと計画する『ブロッカーズ』(これもセス・ローゲンが製作に絡んでいる)に近いが、ただ『ブロッカーズ』はそのヴァージン喪失作戦を阻止しようとする親たちの奮闘に焦点を当てておりいささか趣が異なる。それでも、警察を巻き込んでの大騒ぎになったり、ゲロを吐くギャグがあったりするのは3作品とも共通していて、どれもジャンル映画的なお約束を強く意識した作品である事は間違いないだろう。
更に、この3作品にはもっと重大な共通点がある。それは、劇中何らかの形で同性愛が描かれている事だ。どれもセクシャルマイノリティを主要なテーマとした映画ではないのだが、2007年公開の『スーパーバッド 童貞ウォーズ』、2018年公開の『ブロッカーズ』、2019年公開の『ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー』、それぞれの作品の同性愛描写を比較する事で、セクシャルマイノリティという問題に対してアメリカ製コメディがどの様に向き合ってきたかが見えてくる様な気がする。3作とも観れば絶対に楽しめる良作である事は保証した上で、この点について触れておこう。
スーパーバッド 童貞ウォーズ』は極めてホモソーシャルな価値観に支配された青春コメディであり、一見すると同性愛とは無縁の映画の様に見える。しかし、前述したショッピングモールの場面の直前、警察に追われほうほうの体でパーティ会場を抜け出し帰宅したセスとエヴァンが隣り合って眠るシーンでは、それまでの展開からは想像もできないようなホモセクシュアルなコミュニケーションが交わされていくのだ。卒業後、別々の大学へ進む事から別れの予感を抱いていた2人は、ここで初めて心の底に隠していた想いを率直に打ち明け合い、互いに「愛している」と囁きながらハグを交わす。この情感あふれる場面では、彼らの関係性が男同士の友情といったものを超えて、全く別のベクトルへと転回する予兆をはらんでいたのだが、結局、決定的な出来事は何も起きず、前述したラストシーンで2人は別れを告げる事になる。つまり、彼らはまとわりつくジェンダー意識を最後まで振り切る事ができず、クィアな快楽へと到達する事ができなかったのだ。
『ブロッカーズ』ではヴァージン喪失計画を画策する3人の内、サムという少女が同性愛者である事が映画の冒頭から明らかにされている。同性愛者である事を隠して生きてきた―というより、自身が本当に同性愛者であるかも確信が持てないサムは、友人たちに同調しヴァージン喪失計画に参加する事となる。同性愛者であるかも知れない少女が、カムフラージュとして交際している男性と肉体関係を持つ―この行為をめぐる彼女の葛藤、そしてその計画を阻止しようとする父親との心の交流が映画の細部を形作っていく訳だが、最終的にサムは父親と親友に自身のセクシャリティについてカミングアウトを果たし受け入れられていく。つまり、『ブロッカーズ』では同性愛者であるという事実が誰にも話す事のできない「秘密」として機能している。彼女の「告白」を至極当然のものとして受け入れる登場人物たちの姿に現代性を見出せるとしても、だ。
『ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー』の場合、主人公の1人エイミーが同性愛者であるという設定になっているが、しかし、この設定そのものに何らかの特別な意味がある訳ではない。2人の間ではエイミーの性的指向は周知の事実であり、「告白」を誘発する「秘密」としての機能すら失われている。エイミーと友人のモリーは、同性愛者同士の性交について何の屈託もなくワイ談を交わしてはしゃぐ傍ら、「(服装などに代表される)ジェンダー表現と性的思考は別だ」といった進歩的な意見を述べたりもする。やがて、彼女たちはプロムの晩に意中の人物―モリーはニックという青年を、エイミーはライアンという少女と結ばれる事を夢見て、パーティ会場へ繰り出す事になるのだが、こうしたフラットな視線が映画全体を支配している点こそが、本作の美点のひとつと言えるだろう。この映画には様々なパーソナリティを持った人物が登場し、中にはコメディ映画らしく奇矯な振る舞いを繰り返す者も存在する。しかし、そうしたコメディリリーフ的な端役に至るまで、一人の血の通った人間として細やかな人物造形が成されており、お仕着せの物語の為に無理やり引っ張り出された人物など存在しない。モリーとエイミーは、プロムを通じクラスメイトたちの複雑な相貌を目の当たりにする事で、自分がいかに偏った視点から世界を眺めていたかを思い知らされる。そもそも、彼女たちの「パーティデビュー」も、勉強をおろそかにして遊び惚けていると思っていたクラスメイトたちが、したたかに自分の進路を決めていたのを知ってショックを受けた事がきっかけなのだ。同性愛に対する偏見から自由でいた筈の彼女たちもまた、別種の偏見に囚われていた訳である。
以上の通り、アメリカ製コメディはジェンダーや人種問題など、アクチュアルな問題に対して、そのアプローチを少しずつ変えながらアップデートを繰り返してきた。こうした創作姿勢は急速に変化していく社会との緊張関係(多様化するニーズにどう応え、観客を獲得していくか)によって生み出されたものである。その一定の成果として、本作の自然な佇まいを評価すべきだろう。

それにしても、『ブロッカーズ』と『ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー』の多幸感に満ちたエンディングに対し、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』の終わり方の寂しさよ。この辺に、女性と男性の本質的な違いが顕れている様な気がするーと、思う私は、高校を卒業した後、同窓生とは一度も会っていない。

 

あわせて観るならこの作品

 

スーパーバッド 童貞ウォーズ [Blu-ray]

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  • 発売日: 2014/12/03
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プロムものと童貞ものを組み合わせた青春コメディの名作。この作品でセス役を演じていたジョナ・ヒルの初監督作『mid90s ミッドナインティーズ』を次回取り上げる予定です。

 

ブロッカーズ (吹替版)

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  • 発売日: 2018/12/31
  • メディア: Prime Video
 

こちらも非常に楽しくお下品なコメディ。年頃の子供をお持ちの親御さんは身につまされる事うけあい。日本では劇場未公開でソフトも発売されていないが、NetflixAmazon Prime Videoで視聴可能。