事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

バズ・ラーマン『エルヴィス』

パーカーとエルヴィス、2人の視線の盲点に隠されていたもの

とにかく、問答無用にサントラが良い。単にエルヴィス・プレスリーの名曲を並べただけではなく、ドージャ・キャットやジャック・ホワイト、テーム・インバラといった現代のミュージシャンによるカバーやリミックス、新曲が豊富に用意されていて飽きさせない。私はエルヴィス・プレスリーについてほとんど何も知らないに等しいが、それでもロックン・ロールのみならずアメリカのポップミュージック史が彼から始まった、という認識ぐらいは持っている。バズ・ラーマン監督による伝記映画『エルヴィス』は、何よりもその優れた楽曲によってその事を証明していると言えるだろう。
バズ・ラーマンの事だから、ド派手な音楽とビジュアルを盛りに盛りまくった、胃もたれする様な映画なんだろうなと観る前は想像していたし、まあ実際にそうなのだが、だからといって伝記映画としてのクオリティもおろそかにはしていない。誤解の無い様に言っておくと、伝記映画のクオリティとは史実を正確に描いているか否か、という点とはあまり関係がない。問題は、対象を神話から解放し内実を伴った存在として描いているかだ。名だたるスターたちも、やはり私たちと同じように生きる人間である。しかし、ある点が決定的に異なっていたが故に、彼らは世界にとって特別な存在となり多くの人々を魅了する事ができた。それが何であったのか、伝記映画はそれを解き明かさねばならない。それは単に史実的エピソードを羅列するだけでは成し遂げられないだろう。
だからこそ、バズ・ラーマンエルヴィス・プレスリーの生涯を描く為に、トム・パーカーという男の視点を必要としたのだ。生前のエルヴィスを精神的支配下に置き、売上の50%という破格の報酬を得ていたこの人物は、典型的な悪徳マネージャーとして知られている。エルヴィスの破滅を招いた責任の一端はこの男にある、という見方もできなくはない。だが、彼を単なる金の亡者と断ずるのは一方的過ぎる見方だろう。
パーカーはエルヴィスの才能をいち早く見抜いた人物である。彼のある意味では強引な手法が、結果としてエルヴィスを多大な成功に導いた事も確かだ。だが、哀しいかな、パーカーにはエルヴィス・プレスリーという青年の生み出すサウンドの革新性が最後まで理解できなかった。溢れんばかりの魅力や才能を、いつかは大衆に消費し尽くされて消えていく「スター」の1人としてエルヴィスを捉えていたに過ぎない。だから才能が枯れ果てる前に、その泉を真っ先に見つけた自分が全てを飲み干してしまえばいい。パーカーはそう考え、目先の金欲しさに全ての楽曲権をレコード会社に売り渡すなどという愚かな真似をしでかしたのである。
本作でも描かれた1968年のTV番組におけるエルヴィスのパフォーマンスは、パーカーの作り上げた「スター」のイメージから彼を解き放ち、新しい世界へと飛び立たせる契機となる筈だった。結果的にエルヴィスがパーカーの支配から逃れられなかったとしても、このパフォーマンスで垣間見せた可能性が、アメリカだけでなく世界の音楽を変えたのである。パーカーが最期まで気づかず、エルヴィス自身にもはっきりと見定める事のできなかったもの。言わば2つの視点のブラインド・スポットにこそ、エルヴィス・プレスリーという存在の真の魅力が隠されていた。

 

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この手の伝記音楽映画は、やはり俳優のなりきり演技が見所の一つ。最近では、この作品のチャドウィック・ボーズマンが最高だったのだが…以前に感想も書きました。