事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ニア・ダコスタ『キャンディマン』

キャンディマンはアメリカの負の歴史が産み落としたアンチ・ヒーローなのだ

ここ最近、80年代から90年代にかけてのホラー映画のリメイク、リブート作品が続いているが、いよいよ『キャンディマン』ときた。クライヴ・バーカーが製作総指揮を務めた1992年のオリジナル版は当時としては珍しい都市伝説をモチーフにしたホラーで、右手に鉤爪を取り付けた殺人鬼、キャンディマンの異様なキャラクターが人気を博した。1995年に公開された3作目があまりにヒドい出来だった為、以降はシリーズが途絶えていたのだが…
その『キャンディマン』を現代に蘇らせたのは、伝説のTVシリーズトワイライト・ゾーン』のリブートも手掛けたジョーダン・ピール。今回は監督を俊英ニア・ダコスタに任せ、自身は製作総指揮と共同脚本を担当している。「ジョーダン・ピールが関わってるって事は、どうせまた黒人差別がどうとか説教臭い話なんじゃないの?」と思う向きもあるだろうし、まあ実際その通りなのだが、しかし、実はオリジナル版にも人種問題や黒人奴隷の歴史は描かれていたのである。物語の舞台となるカブリニ・グリーン・ホームズはシカゴに実在した公営住宅で、1950年から1960年にかけて23棟3,000戸のアパートが建設された。シカゴ住宅局の福祉政策の目玉として進められたこの公営住宅群は、老朽化が進むにつれ貧困層の住むゲットーと化してしまう。オリジナル版の主人公ヘレン・ライルは、キャンディマンの伝説を調査する為にカブリニ・グリーンを訪れるのだが、それらのシーンでは荒廃したアパートやそこに住む貧困黒人層の姿がはっきりと映し出されていた。都市伝説の伝搬は民俗学社会学の研究対象となるが、1992年版『キャンディマン』はアメリカの負の歴史を反映させたホラー映画だったのである。
膨れ上がる管理コストと頻発する犯罪に手を焼いたシカゴ住宅局は、1995年から住民の立ち退きと建物の取り壊しを進め、2011年には全てのアパートが取り壊された。かつて公営住宅の存在したカブリニ・グリーン地区はダウンタウンが近い事もあって再開発が進み、現在では高層ビルや商業施設が立ち並ぶ一等地となっている。オリジナル版が公開されてから30年という月日が流れ、シカゴという街も、そこに住む黒人たちの暮らしも大きく変わった。その変化を、ジョーダン・ピールは本作でどの様に描いているだろうか。
主人公アンソニーは、カブリニ・グリーン地区に建てられた高級コンドミニアムに恋人ブリアンナと同棲している。彼はヴィジュアルアーティストとして成功する事を夢見ており、アートキュレーターとして活動するブリアンナも、彼の才能を信じて陰になり日向になりサポートに努めていた。この設定から分かるとおり、彼らはもはやオリジナル版でのカブリニ・グリーン・ホームズの住人とは異なり、シカゴで豊かな生活を送り、更なる成功を目指すミドルクラスに属しているのだ。本作で描かれる彼らの日常は、カブリニ・グリーンから最後のアパートが消えてから10年が経過し、シカゴに住む黒人たちの生活が向上した事実を指し示す。オリジナル版はグラフィティ・アートをホラー映画のギミックとして利用した珍しい例だったが、今や黒人たちのストリート・カルチャーはメイン・ストリームとなり、ガーナ系移民の子であるヴァージル・アブローがルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクターに就任する時代である。荒廃したアパートの壁面にスプレーで描いた落書きが美術品として認知され、批評の対象となっていく。アンソニーは、アート業界で十分な評価を受けているとは言い難いが、それでも自分が成功を目指す事を許された存在である事は疑ってもいない。
アンソニーは、展覧会に出品する新作の為に、カブリニ・グリーン地区の歴史を調べ始める。やがて、ヘレン・ライルという女性の名が浮かび上がり、キャンディマンという鉤爪の男をめぐる不吉な噂に彼はのめりこんでいく。ヘレン・ライルは都市伝説をめぐるフィールドワークの過程でキャンディマンに憑りつかれ焼死した。ヘレン自身がカブリニ・グリーンに伝わる新たな伝説となった事が、オリジナル版のラストでは示唆されていたが、リメイク版はまさに都市伝説というかたちでオリジナル版のストーリーを丸々取り込んでいる訳だ。
アンソニーが冗談半分に鏡に向かって「キャンディマン」と5回唱えた時から、周囲で異常な殺人が起き始め、やがて彼自身の肉体と精神も変調を来していく。直接的なゴア描写は少なめだが、鏡を利用したニア・ダコスタの演出はスタイリッシュで、要所ではホラー映画の勘所をきっちりと抑えている。特にハイスクールのトイレで展開するケレン味たっぷりの殺戮シーンは本作の白眉だろう。この黒人女性監督は『キャプテン・マーベル』の次回作に抜擢されたとの事、私は『キャプテン・マーベル』については、全く面白いと思えなかったが、これはかなり期待できそうだ。
ホラー映画としても水準以上の出来の本作だが、何よりも最大の特徴はオリジナル版でも描かれていた人種差別についての問題意識を拡張し、BLM運動以降のホラー映画としてアップデートしてみせた点にある。キャンディマンの出自そのものはオリジナル版でも描かれていたエピソードだが、ジョーダン・ピールはそこにアメリカ社会が目を逸らし続けてきた闇、白人たちによる黒人虐殺の歴史を重ね合わせてみせる。これはHBOで製作された連続ドラマ『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』と同様の手法で、シカゴ出身の黒人少年エメット・テイルのリンチ事件が今作でも紹介されていた(劇中でアンソニーが描く不気味な肖像画は、リサ・ウィンテントンの2012年の作品「母が息子を送り出した時と出迎えた時」にインスパイされたものか)。エメット・テイル事件はアメリカで公民権運動が勃発するきっかけとなった虐殺事件だが、こうしたアメリカの負の歴史が終わった訳でない事は、誰もが知るところだろう。確かにブラック・カルチャーは市民権を得て、裕福な暮らしを営む黒人たちは増えたのかもしれない。しかし、黒人たちに対する差別や偏見は未だにアメリカ社会の底流をなし、それがいつ陰惨な暴力を伴って噴出するかも知れないのである。アンソニーを狂気へと駆り立てた焦燥感はスランプに陥ったアーティストなら誰もが抱くものだろう。しかし、その裏側には自分の暮らしや生命が、いつ奪われるか分からない、という黒人たちの根源的な不安が根を張っている。私たちの世界は何も変わっていないし、何も終わっていないのだ。

 

あわせて観るならこの作品

 

モダン・ホラーの雄として様々なジャンルで活躍したクライヴ・バーカー制作の都市伝説ホラー。オリジナル版には人種差別の他、アカデミズムにおける女性差別まで描かれていた。なかなかに先進的な作品だったのだ。