事件前夜

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ポール・トーマス・アンダーソン『リコリス・ピザ』

対称的な2つのカーアクションはハリウッド映画の時代的変質を象徴する

珍しくイギリスを舞台とした『ファントム・スレッド』を挟んで9作目となる本作で、ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)は久しぶりにカリフォルニア州サンフェルナンドバレーに帰還した。1973年の夏へと観客を誘う細やかなディテール描写と、一癖も二癖もある登場人物たちが織り成す会話の面白さはいかにもPTAらしい作りで、何となく『ブギー・ナイツ』や『マグノリア』を思い出す人も多いだろう。シンプルなボーイ・ミーツ・ガール・ストーリーという意味では『パンチドランク・ラブ』に近いのかもしれない。以上の3作品はどれもサンフェルナンドバレーを舞台としており、このハリウッド郊外の一地区がPTAにとっての物語的なトポス、イマジネーションの源となっているのは間違いない。では、そこで描かれるのはどの様な物語なのか。
もちろん、作品毎に次々と作風を変えるPTAの事だから一括りに語る事などできはしないのだが、それでも「サンフェルナンドバレー・サーガ」とでも言うべき作品群が、時代や社会から取り残された人々の物語であるのは間違いない。ポルノ版『アメリカの夜』とも評された『ブギーナイツ』で描かれていたのは、映画の聖地ハリウッドの近郊でポルノビデオを濫造する事しかできなかった人々の姿だった。異様な群像劇『マグノリア』では家族から拒絶された人々の空虚を満たす様に、ある奇跡が起きるのをクライマックスとしていた筈である。『パンチドランク・ラブ』もまた、社会や他者との折り合いをつける事が上手くできず、しばしば感情を爆発させてしまう青年が主人公だった。
リコリス・ピザ』において、ショーン・ペンが演じるベテラン俳優ジャックはウィリアム・ホールデンがモデルであり、トム・ウェイツの演じた映画監督レックスはサム・ペキンパーを彷彿とさせる。1973年のハリウッドで、1950年から60年代に名を馳せた映画人たちは次第に時代遅れの存在になりつつあった。インディアンやナチス将校は映画の敵役の座から降ろされ、良きアメリカ人であった筈の旧世代の人々が憎むべき悪として描かれる様になったのである。何かが始まり、何かが終わろうとしている時代。ジャックとレックスが酒の酔いに任せて50年代のアクション映画さながらのバイクスタントを再現しようとしたのは、時代の潮流に置いて行かれそうになる現状への焦りからだろうか。
しかし、主人公のアラナはジャックの運転するバイクの後部座席から、いきなり振り落とされてしまう。アラナのもとに慌てて駆け寄るゲイリーと共に、1970年代を生きる彼らはもはや、旧世代の人々が未だ夢見るヒロイックな疾走に未来を賭ける事はできない。その代わりに彼らが選んだのは、あまりにも鈍くさい、ガソリンの切れた大型トラックによる背面走行なのである。まさに70年代に登場した新世代の監督たちによる『恐怖の報酬』や『激突!』を思わせるこのサスペンスフルな場面に、1960年代後半から70年代におけるハリウッド映画の変質が凝縮されている―というのは、余りにも穿った見方だろうか。失われた過去に向かって前進する人々と、まだ見ぬ未来へと背走する人々の鮮やかな対比ーいずれも、新たな時代の幕開けと共に何らかの屈折を抱え込まざるを得なかった存在なのは間違いない。ノスタルジックな空気の漂う青春映画として観客を楽しませつつ、重層的かつ多様な解釈を可能とする本作はアメリカ映画の最良の部類に入る。

 

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