事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

クリストファー・ノーラン『TENET テネット』

クリストファー・ノーランの新作『TENET テネット』がいよいよ公開される運びとなった。新型コロナウイルスの影響で予定されていた大作映画が次々と公開延期となる中、おそらく最も待ち望まれていた作品のひとつだろう。映画館でも予告編が流れまくっていて、興行的にもかなりの期待が寄せられているのが分かる。しかし、蓋を開けてみるとこれが何とも言い様のない作品なのであった…
公開後の海外での評価は賛否両論といった感じだが、だからといって問題作とか実験作とかいう表現が相応しい訳でもない。別に悪くもないが取り立てて良くもない、「ふーん」という感想しか浮かばない作品なのである(よくよく考えると、この中途半端さがクリストファー・ノーランの唯一の特徴とも言えるのだが…)。確かに、本作は『インソムニア』や『インセプション』ほど酷い作品ではない。しかし、不器用ながらも新境地を開拓した『ダンケルク』の次がこれかあ…という気にさせられてしまった。
世の中には「ノーラン信者」と称される人々がいて、新作が公開される度に作品の細部についての詳細な考察がネットを騒がせたりもする。これは、クリストファー・ノーランが同時代的な映画作家として、今や多くの人に受け入れられている証拠だろう。そうした需要のされ方という意味では、90年代におけるデヴィッド・リンチを代替する存在なのかもしれない。確かに、彼の映画はリンチと同じくしばしば難解と言われ、それが多くの「信者」を生み出す要因になってもいる。だが、果たしてそうなのだろうか。少なくとも、ノーランの映画はリンチ的な意味で難解なのではない。それは単に分かりにくいだけなのだ。
クリストファー・ノーランの映画は、どれほど奇抜な設定が用意されていても、結局は聖杯探求譚のバリエーションに収まるものが多い。要するに、主人公やその周囲の人々にとって困難な事態が生じ、それを解決する為に必要なもの(それは常に物質とは限らず、情報であったり人であったりする)を求めて主人公が冒険の旅に出かける、といったパターンである。『プレステージ』も『インセプション』もこの範疇に入るし、『インターステラー』や本作もその例外ではないだろう。プロットとしては非常に古典的なのだが、ノーランの映画ではその語り口が錯綜を極めている為に、物語の全体像が非常に見通しにくくなっているのである。
ここで、クリストファー・ノーランの作品を複雑化させている2つの要素を挙げておこう。ひとつは、誰もが指摘する「物語内の時系列操作」である。それは『メメント』の様に、映画全体が結末から発端に遡る場合もあれば、『ダンケルク』の様に、フラッシュバックを多用して同じエピソードを別の視点から語り直す、といった場合もあるだろう。時間芸術である映画においては、観客は通常、映画を観ている間に流れる現実の時間に沿って物語内の時間も流れていると考えがちだ。従って、前後のエピソードの時系列が倒置されていると、現実の時間の流れと齟齬を来すので物語の理解に障害が生じる。そこにもうひとつの要素、例えば主人公のそれまでの行動が何者かの思惑によって予め仕組まれていた、といった「操り」のテーマが絡む。こうした「操り」テーマは、観客がそれまで享受してきた物語を超越的な立場から眺めるメタ的な存在を否応なく意識させる。このメタ的な存在は他人でも主人公自身でも構わない。むしろ、操る側と操られる側の共犯関係があるからこそ、こうした構造が可能となる。『プレステージ』や『インターステラー』といった作品は、この「操り」と「他者と自分の同一化」というテーマが前景化した作品と言えるだろう。こうした入れ子構造によって、観客は映画が提示する物語の真偽を疑わざるを得なくなってしまうのだ。
こうした手の込んだ語り口によって、映画は必要以上に謎めいた見かけを獲得する。要するに、デヴィッド・リンチの与える謎が最初から答えの用意されていない詐欺師の如きものであるのに対し、クリストファー・ノーランの謎は明確に回答が用意されているが、その説明が回りくどくて分かりにくい、不出来な教師の如きものなのである。
前置きが長すぎて、本編の感想を書くのが面倒になってきたが、とりあえず話を『TENET テネット』に戻そう。この映画は上述した2つの方法論をスパイ映画のプロットに落とし込んでいる。ただ、ひとつだけ過去作と異なるのは、いつもの「時系列の操作」をプロットレベルに留まらず、視覚的に再現しようとする試みだ。その奇抜な映像表現こそが本作の最大のウリになっていると思うのだが、正直な話、それが大して面白くないところがこの映画の最大の欠点である。もちろん、互いに時間が逆に流れている複数の人物を同じ画面に同居させる、というのは現在の技術を以てしか実現できなかった表現なのだろうが、それがアクション映画としての表現に新鮮味をもたらしているかというと、別にそういう訳でもない。むしろ、決してアクション演出が上手い訳でないノーラン映画の欠点が浮き彫りになっているのではないか、と感じた(最後の集団戦闘シーンの空虚さは異常である)。そして、相変わらずの「操り」テーマだ。本作のどんでん返しは、これまでクリストファー・ノーランの映画を観てきた方にとっては容易に予想できるものである。ただ、言いたい事は分かるのだが、それが頭の中で像を結ばないというか、とにかく飲み込みづらい。それが作り手自身も分かっているのか、事の成り行きをいちいち台詞で説明しようとするので、登場人物たちが血の通わない描き割りになってしまっている。結果、ドラマは限りなく希薄になり、最初から最後まで誰かが誰かに何かを説明しているだけの映画になってしまった。これなら『インセプション』の方がシンプルで納得しやすかったし、そこに親子のエモーショナルなドラマを上手く絡めていたと思う。
という訳で、何だか酷評めいた内容になってしまったが、実はそんなに嫌いになれない作品である。それは主演を努めるエリザベス・デビッキの魅力に拠るところが多いような気もするが…まあ、映画のルックとして非常に面白そうに見える(その割に内容がショボイ)ところは、やはりデヴィッド・リンチ的だと言えるかもしれない。いや、むしろリュック・ベッソン的と言った方が正しいか。

 

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「1回観ただけじゃ分からない!」とリピーターが続出している本作だが、その手のはしりと言えばこれ。実はプロットも似ていたりする。個人的に、1回観ただけで理解できないのは、 観てる側じゃなくて作品のせいだと思うのだが…

 

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『TENET テネット』の中で、過去の自分と未来の自分がかち合うと大変な事になるので気を付けろ、みたいな台詞があるのだが、その大変な事、というのを『タイムコップ』で描いていたのを思い出した。ジャン=クロード・ヴァンダム主演のSFアクション映画で、ピーター・ハイアムズの職人的技量が冴える1作。