事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジェニファー・ケント『ナイチンゲール』

前作『ババドック 暗闇の子供』は『エクソシスト』風のプロットにシングル・マザーが抱える精神的重圧や社会的な孤立感といった女性監督らしいテーマを盛り込んだ傑作だった。特に、母親役のエッシー・デイヴィスの鬼気迫る演技が素晴らしく…とにかく1度観て頂きたい。
そんなジェニファー・ケント監督の新作は打って変わって、ブラック・ウォー(タスマニア1820年代に起きたイギリス人入植者によるアボリジニーへの民族浄化作戦)を背景に据えたサスペンス/スリラーである。『ババドック 暗闇の子供』でも観る者を不快にさせる様な描写が多かったが、今作はそれ以上にすさまじく…冒頭から胸糞の悪くなる展開が続き、どんどん気が滅入ってくる。実際、シドニーの映画祭では途中で退席する人が続出したらしい。
ジェニファー・ケントは、ラース・フォン・トリアー監督『ドッグヴィル』の助監督からキャリアをスタートさせたそうだが、確かにあの作品もとにかく観客を不愉快な目に遭わせてやろう、という挑発的な作品だった。ただあからさまに虚構的な空間の中で物語が進む『ドッグヴィル』に対し、『ナイチンゲール』はれっきとした史実を扱っている。だから、『ドッグヴィル』に対し「何で金払ってこんな不愉快なもん見せられなきゃいけないんだ!いい加減にしろ!」と怒った観客(それも最もだと思うが…)も、本作については「あなたは、かつて白人が先住民族を迫害してきた過去から目を背けるのですか?この人でなし!」と、レイシスト呼ばわりされるのは嫌だから、渋々ながらこの2時間以上続く地獄絵図に付き合わされる事になる。
イギリス人将校たちにレイプされた挙句、夫と子供を殺された流刑囚グレアが、アボリジニのビリーと共に復讐の旅に出る、というプロットだけを取り出せば、本作は『女囚さそり』シリーズ、あるいはそれに影響を受けた『キル・ビル』の様な復讐ものに分類できる。人種差別が公然とまかり通っていた時代に、白人と黒人が同じ目的の為に協力し合うという意味では、同じタランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』に近いかもしれない。
こうした復讐ものは無力な被害者が物語が進むに従って徐々に成長していき、やがて敵を次々と血祭りにあげる復讐の鬼と化す、というのが定型である(『コマンドー』や『ジョン・ウィック』みたいに、最初から主人公がめちゃくちゃ強いというパターンもあるが)。本作の主人公グレアも確かに、怒りや憎しみを原動力に無謀な追跡の旅に出る。怪我をして動けない将校の部下を惨殺する場面は、そうしたエモーションの爆発と捉える事ができるだろう。
ただ、この映画が一筋縄でいかないのは、その後のクレアに迷いが生じる事である。もともと、夫や子供が殺された光景が何度もフラッシュバックで蘇り、苦しんできた彼女は、今度は自分が殺した若者の幻影にまで脅かされる事になっていく。この辺りのニューロティックな描写は、『ババドック 暗闇の子供』の監督らしいが、そのせいでグレアは復讐という目的を放棄してしまうのだ。彼女は将校を狙撃する絶好のチャンスで引金を引く事を躊躇い、そのせいで相棒のビリーを危険にさらしてしまう事になる。
その後に続く、目的を見失ったグレアが原生林の中を当て所なく彷徨う展開は一般的な復讐ものの定型を完全に逸脱している。その間に、敵役の将校は行く先々で暴虐の限りを尽くしまくるので、観客はフラストレーションがどんどん溜まっていく。「いいかげんにこのクズどもをぶち殺してスッキリさせてくれよ!」という気持ちになってくる。ジェニファー・ケントはジャンル映画的お約束を拒否し、人は自らの内なる暴力とどう折り合いを付ければいいのか、と問いかけているのだ。これは『ババドック 暗闇の子供』でも追及されていたテーマだが、ジャンル映画的なカタルシスを期待していた観客には評価の分かれる点だろう。
とはいえ、最後の最後に復讐は果たされ、将校たちは自らの罪を死で贖う事になる。ただ、そこは非常にあっさりとした描写によって処理されているので、それまで将校たちが行ってきた残虐な振る舞いが異常にしつこく描かれていたのに対して釣り合いが取れていない。必然的に、物語的なカタルシスは半減され、観客の心にモヤモヤしたものが残る。
もちろん、実際にはこの大量虐殺によってタスマニアン・アボリジニは絶滅させられたのだし、いくら映画が胸のすく様な物語を虚構として語ってみせても、現実の残酷さが薄らぐ事はない(タランティーノはそれを敢えて試みた訳だが)。暴力や差別、貧困に圧し潰された人々の魂を、そしてそんな現実に立ち向かう術すら持たない私たちの魂を鎮めるかの様に、朝日が差し込む浜辺でビリーは踊り、そしてグレアは歌い続ける。

 

あわせて観るならこの作品

 

ババドック 暗闇の魔物 [DVD]

ババドック 暗闇の魔物 [DVD]

  • 発売日: 2015/09/04
  • メディア: DVD
 

ウィリアム・フリードキンも絶賛したニューロティック・ホラーの傑作。エクソシスト+『シャイニング』+『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』みたいな感じです。やり過ぎとしか思えないエッシー・デイヴィスの怪演が見もの。