事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ウィルソン・イップ『イップ・マン 完結』

2008年に公開された『イップ・マン 序章』から足掛け11年、遂に『イップ・マン』シリーズが完結した。ドニー・イェンが世界的にブレイクするきっかけとなり、アジア圏内を超えて世界中で大ヒットを記録した人気シリーズが遂に大団円を迎えた訳である。例えば『ジョン・ウィック』シリーズなど、近年のハリウッド製アクション映画でもクンフーの要素を積極的に取り入れようとする動きが見られるが、それも本シリーズの成功が影響しているのだろう(もちろん、『マトリックス』という偉大な先行作を忘れてはいけないが)。何しろ、ドニー・イェンが『スター・ウォーズ』のスピンオフ作に出演するほどなのだから、ハリウッド映画界がクンフーに再び熱い視線を注いでいる事は間違いない。イップ・マンやその弟子であるブルース・リーが生涯を掛けて中国武術の素晴らしさを広めようとしていた事を考えれば、なかなか感慨深いものがある。
さて、このシリーズは香港の武術家、詠春拳葉問派宗師イップ・マンの生涯を大胆な脚色を交えて描きつつ、人間離れした身体能力を持つドニー・イェンのアクションで観客を魅了してきた。もちろん、観客はその切れのあるアクション演出(1作目と2作目ではサモ・ハン・キンポーが、3作目以降はユエン・ウーピンがアクション指導を担当している)を存分に楽しめばいいのだが、日本や西欧諸国に蹂躙された中国の現代史を背景に、植民地政策や排外主義によって苦難の道を歩んできた中華民族のドラマがシリーズを通して展開してきた事も忘れてはならない。
裕福な資産家の次男として生まれた主人公イップ・マンは、1937年に始まった日中戦争によって邸宅を日本軍に接収されてから、国家間の争いに巻き込まれ。様々な差別や偏見を目の当たりにしてきた。『イップ・マン 序章』において、空手の達人である日本人将校、三浦との試合に見事勝利したイップ・マンは、中国から脱出し香港へと亡命する。しかし、イギリスの統治下にあった終戦後の香港では中華民族に対する差別が横行し、イップ・マンは慰みものとして殺された同志の敵を討つ為、イギリス人ボクサーと対決する、というのが2作目の『イップ・マン 葉門』である。続く『イップ・マン 継承』では、好景気に沸く香港再開発の陰で暗躍するアメリカ人の地上げ屋と拳を交え、最終作である本作では息子の留学先を求めて渡米し、そこで中華系移民への差別を目の当たりにする、という訳である。
こうした社会的な偏見や差別を、中国系武術が受け継いできた精神性によって乗り越えようとするのがイップ・マンの思想である。従って、本シリーズでは中華系民族に対して横暴に振る舞う排外主義者がまず悪役として登場し、最終的にイップ・マンと異種格闘技戦の一騎打ちで決着を付ける、という構成になっているのだが、もちろん、クンフーの達人がボクシングチャンピオンや空手の達人に勝ったからといって世の中の差別が無くなる訳ではない。だから、イップ・マンはシリーズを通して無益な争いを好まない、物静かな男として描かれている。本シリーズが参照したと思われる『ロッキー』なら、ロッキーはプロボクサーなのだから最後にボクシングの試合で決着を付けるのは当たり前である。しかし、イップ・マンは市井の格闘家で、武術道場の師範に過ぎない。その彼を決闘の場に引きずり出す為に、悪役たち(というか、映画製作者たち)は、あの手この手でイップ・マンや周囲の人々に嫌がらせを繰り返して挑発する訳だ。この辺りの展開がけっこう強引だったり無理があったりするのは毎度の事で、シリーズを通してご覧になっている方は「何でこいつと闘う必要があるんだ?それで何か問題が解決するのか?」と疑問に思った経験がおありだろう。その辺のやり繰りが完全に破綻したのが3作目の『イップ・マン 継承』で、マイク・タイソンをブッキングしたから、映画のどこかでイップ・マンと対決させろ、とプロデューサーにぶっ込まれた為に無理やり対決シーンを用意した結果、その部分だけ完全にストーリーから浮いてしまい、取っ散らかったよく分からない作品になってしまった(マイク・タイソンとのアクションシーンは非常に迫力があって良かったのだが)。本作はその反省からか、最後の対決までスムーズな筋運びにはなっているものの、よくよく考えると滅茶苦茶なプロットである(ライバル役の米国軍人の傍若無人ぶりは、ほとんどサイコパスではないだろうか)。
さて、本シリーズが『ロッキー』シリーズの影響を受けている、と前段で述べた。(例えば、2作目の『イップ・マン 葉門』のプロットはまんま『ロッキー4』である)。ロッキーにエイドリアンという恋女房がいた様に、本シリーズにもウィンシンというイップ・マンの妻が登場する。前作『イップ・マン 継承』において彼女は病死してしまったので、本作は妻を亡くした男の姿を描いているという意味において『ロッキー・ザ・ファイナル』に相当するだろう。しかし、本作ではイップ・マンの弟子であり、映画史的にも重要な人物であるブルース・リーとの交流が描かれ、彼の活躍も合わせて描かれているのだから『クリード チャンプを継ぐ男』の要素も併せ持っている。ブルース・リーのそっくりさん俳優、ダニー・チャンはまさに憑依とも言うべき熱演を見せ、特にヌンチャクを使ったアクションは『ドラゴンへの道』に対するオマージュに満ちていた。

 

あわせて観るならこの作品

 

やはり、シリーズを通しで観た方が楽しめる。こちらは1作目と2作目を併録したお得なツインパック。まあ、全作入りBOXセットも発売されるだろうが。