事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

アンディ・ムスキエティ『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

 

子供の頃、エドガー・アラン・ポーの「黒猫」を子供向けに翻訳したものを読み、震えあがった。お話そのものも怖かったが、何より恐ろしかったのはそこに描かれていた、壁の中に埋まめられた死体の挿絵である。私はその本を本棚の隅っこに押し込み、2度と頁を開く事は無かったが、それ以来、本棚に目をやる度に言い知れぬ恐怖を覚えたものだ。たぶん、もう一度あの本に手を伸ばしていたら、そこにはいやらしく笑うピエロの顔が描かれていただろう。天井の木目が人の顔に見えたり、クローゼットの中に恐ろしい化け物が潜んでいる様に感じたり、子供というのは時に根拠の無い恐怖に心を支配される。いったい、何をそんなに恐れているのか。自分の心を抑圧し、縛りつけているものは何なのか。それを探り出し、克服するのが本作に登場する少年少女達に与えられた試練である。ドメスティックな問題を抱え、周囲と溶け込む事のできない彼らは、深層心理(イド)を解放する為に廃屋の中に隠された井戸へ潜り込んでいく。『キャリー』『シャイニング』『スタンド・バイ・ミー』など、キング原作の名作映画にオマージュを捧げながら、美しくも恐ろしい映像美で観客を魅了する本作は、何よりもまず、無垢な子供達が世界の残酷さと対峙する力を手に入れる姿を描いた、青春映画の傑作である。いったいあの恐怖の源泉は何だったのか、本作のラストではそれが実体を伴わない空っぽの存在であり、結局は自分が生み出したものに過ぎない事が示されるが、ならば実在しない化物を倒し完全に屈服させる事など不可能なのではないか。それは何度でも復活し、少年少女達は再び呼び戻され、戦う事を強いられるだろう。そう、ピエロは今でも笑みを浮かべながら本棚の片隅で息を潜めている。