事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

深田晃司『よこがお』

 

池松壮亮『だれかの木琴』に続き、年上の女に誘惑される美容師役を演じている。これは、どういう事なのだろう?深田晃司監督が『だれかの木琴』を観て自作に取り入れたのか?あるいは、年上の女に誘惑される美容師といえば池松壮亮、というのが日本映画界の共通認識なのだろうか?

まあ、それはともかく横顔という言葉には額面通りの意味の他に、「ある人の一般には知られていない側面」という比喩的な意味もある。ご覧になった方々は、この比喩的な意味で本作のタイトル『よこがお』を捉えているかもしれない。しかし、重要なのはやはり、この映画には人の横顔ばかりが映される、という事なのではないだろうか?

私達が誰かの横顔を見る時、その人物とは正対していない筈である。目と目を合わせる事なく、一方的な視線を送る私と、その視線を無視、あるいは拒否するあなた。自分に向けられた視線を受け止め、相手に視線を返す事から他者との交流が始まるとするなら、横顔とはそうしたコミュニケーションの不在を象徴しているのである。

ならば、本作の会話場面において切り返しという手法が慎重に取り除かれているのも納得できるだろう。二人の人間が向かい合っている場面を一人ずつ別々に撮影し、会話の進行に合わせて繋ぎ合わせる切り返しショットは、別撮りされた2人がまるで見つめ合って話しているかの様に、存在しない筈の視線をねつ造する。他者とのコミュニケーションの不可能性を描くこの映画とは、齟齬を来す演出法だと言える。

映画の冒頭から、美容室の鏡を通して視線を送り合う筒井真理子池松壮亮は、やがて筒井真理子池松壮亮の部屋をストーカー的に観察する、という不健全な視線の関係を経て、遂には一夜を共にする事になるのだが、その別れの場面で男を見つめる筒井真理子を正面から映したショットの後、池松壮亮は切り返しショットの成立を恐れるかの様に、背を向けてしまうのである。他者と視線を交わしあう事への恐れ。筒井真理子に同性愛的な親しみを抱く市川実日子ですら、それは同じである。喫茶店筒井真理子に語学を教わっている彼女は、いつの間にか筒井真理子の隣に席を移し、正対する位置関係から逃れようとする。その結果、対面の席で2人の視線を受け止める事になった小川未祐は、まるでその罰であるかの様に、須藤連のガラス越しの視線に絡め取られてしまうのだ。

実は、筒井真理子市川実日子を切り返しショットで捉えたシーンが皆無という訳ではない。しかし、その代表的な場面である夜の公園でのシーンにおいて、市川実日子の顔は逆光によって黒く塗り潰されている。その時、彼女がどんな表情をしていたのか。もし、筒井真理子がそれを知る事ができていたのなら、自身を待ち受ける過酷な運命から逃れられたのかもしれない。

 

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年上の女に誘惑される美容師役が出てきます。常盤貴子の妖艶さが素晴らしい。まあ、映画自体の出来はちょっとアレなんですが…以前に感想も書きました。

 

こちらは掛け値なしの傑作。ある犯罪事件を中心に、被害者たちの負の感情が連鎖し、更なる悲劇を招く。以前に感想を書いています。