事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

マーティン・マクドナー『スリー・ビルボード』

 

レイプ殺人事件の被害者の母親は、一向に進まない捜査に業を煮やし、事件現場近くに立てられた3つの広告看板に、警察を糾弾する内容の広告を掲げる。広告には警察署長の個人名まで挙げられていた為、警察はもちろん、署長を慕う町の住民からも様々な形で反発が起きる。しかし、母親は決して広告を取り止めようとはしない。やがて、この騒動はある人物の死をきっかけに意外な展開を見せていく。
3枚の看板広告をめぐる人々の葛藤や感情のほとばしりが本作では重苦しく、時にはユーモラスに語られる。作中で登場人物が語った様に、この攻防をチェスに例える事ができるだろう。母親の看板広告が初手だとすれば、それに対する警察の圧力や人々の嫌がらせが次の一手となり、また母親が対抗し更なる一手が打たれる。こうして、盤面は差し手たちが予想もしなかった姿へと変わっていく。

ここで重要なのは、このチェスが本来の意味での敵であるキング=レイプ殺人事件の犯人が不在のまま進行していく事だ。その為、差し手たちの怒りの矛先は常にその代替者(犯人が見つからないのは警察が怠慢だからだ、といった様な)に向けられ、そのずれが更なるずれを呼び起こし、暴走した怒りや憎しみが盤面を悲劇的な赤色に染め上げていく。
ここには、紛争が繰り返される現在の国際情勢と、その中心にいる先進国への厳しい眼差しが感じられる。果たして、人はこうした怒りや憎しみの連鎖を断ち切る事ができるのだろうか。映画はその美しいラストで希望と絶望の道行を観客に指し示している。