事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ギヨーム・ブラック『みんなのヴァカンス』

思い出す事も取り戻す事も不可能な体験について

いやあ、素晴らしいね!ギヨーム・ブラックというと、『女っ気なし』がDVD化されたきりで、ソフト化も進まないし、サブスクで配信される事もないし、なかなか観る機会に恵まれなかったが、それが惜しまれるぐらいの出来栄えである。その軽やかで瑞々しい人間描写とか、可笑しさと哀しさの入り混じる繊細な会話とか、それでいて俳優たちは長編映画に出演した経験すらない学生たちであるとか、本当に驚きと発見に満ちた映画なのだが、それでいてモテない男たちがリゾート地へ遊びに出かけてダラダラ会話しているのを撮っただけの様に見えるのがミソだ。要するに、先日感想を書いた作品の様なわざとらしさが無いのである(偶然にもその監督が本作の公式サイトにコメントを寄せているのだが)。
本作の佇まいはどことなくエリック・ロメールの作品を想起させ、ロメールの作品がそうである様に大した出来事が起きなくても無頼に面白い。物語は主人公のフェリックスがアルマという少女に出会い、恋をする事から始まるが、彼らの恋の行方が映画の中心となる訳ではない。フェリックスとその友人シェリフ、マッチングアプリで知り合った青年エドゥアールによる、男3人のヴァカンス旅行はやがて、リゾート地に集う人々との交わりを通じて思いもかけぬほど豊かで掛け替えのない体験へと変わっていく。
映画が終わった時、人々は「そうそう、ヴァカンスってこういうもんだよな」という感想を抱くだろう。気心の知れた家族や友人たちとの何気ない会話、ちょっとした言い争い、他人との不意の出会い、やがて訪れる別れ。肌に触れる水の冷たさ、髪を撫でる風の匂い。それらは、過ぎ去ってしまうと決して取り戻す事のできない「体験」である。ヴァカンスから帰った私たちはやがて日常に戻り、ふとした瞬間にその記憶が探ったりもするのだが、手にするのはいつも「思い出」という不完全な断片に過ぎず、「体験」そのものを取り戻す事は決して不可能なのだ。いつしか消え去ってしまう、日常の空隙としての時間。その時間の痕跡は、私という内面の奥底に、はっきりとは言い表せないささやかな変化として息づいている。
これは、映画館で映画を観る、という行為が、DVDやサブスク配信で作品を観るのと決定的に異なる「体験」を私たちにもたらすのと似ている様に思う。ギヨーム・ブラックの作品がソフト化や動画配信といった視聴方法と縁遠いのも仕方がないのかもしれない。本作を観るという行為は、日常生活にぽっかりと生じた、ヴァカンスの様な時間を潜り抜けるのとどこかしら似ているからだ。

 

あわせて観るならこの作品

 

ヌーヴェルバーグのバカンス映画で調べてるみると、エリック・ロメールの『コレクションする女』が出てきたのだが残念ながら未見。代わりに追悼の意味を込めてこの名作を。