事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジョナサン・レヴィン『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』

これって結局、『アメリカン・プレジデント』を引っ繰り返しただけじゃないの?あっちも政治と環境保護がモチーフになっていた気がするし…ここ最近、例えば『オーシャンズ8』とか『ゴーストバスターズ』とか、オリジナルのホモソーシャルな世界観をそのまま女性に置き換えた映画が色々と作られ、フェミニズムの文脈で評価されたりしているが、とりあえず女性客を集める為に適当にでっち上げたフェミっぽい作品がこれからどんどん登場しそうな気がして心配である。ブラック・エクスプロイテーション映画というのが70年代に流行ったが、今まさにフェミニズムエクスプロイテーション映画の時代が到来しつつあるんじゃないだろうか。まあ要するに、私が言いたいのは『オーシャンズ11』も『ゴーストバスターズ』も『アメリカン・プレジデント』も、今さら引っ張り出してくる程の作品じゃないだろ、という事である。
とはいえ、この映画はなかなか良く出来ている。恋に落ちる2人のうち、女の方が次期大統領とも目されるエリート国務長官で、男の方が現在失職中のしがないジャーナリスト、という設定そのものはどうでもいい。それは既存のシンデラ・ストーリーを反転させたに過ぎないからだ。そもそも、ダメ男が高嶺の花だった女性の愛を勝ち取る、という『101回目のプロポーズ』的ストーリーは、結局のところ男性が潜在的に持っている欲望に奉仕する役目しか果たさない。うだつの上がらない男がエリートの女性に「真実の愛」を与える事で、彼女を縛っていた抑圧から救い出す、というだけなら、ドラゴンに囚われたお姫様を勇敢な騎士が救い出す、という手垢にまみれた物語のバリエーションに留まってしまう。単に、騎士の持つ武器が「剣」から「愛」に変わっただけの事だ。
本作の特徴は、「身分違いの恋」という典型的なラブストーリーのプロットに、(単純化されたものとはいえ)政治的対立という要素を導入し、恋人たちが互いの存在を認め合う事でひとりの人間として成長していく様を描いた点にある。
左派系ジャーナリストとして活動してきたフレッド・フラスキーは、過激な取材と歯に衣着せぬ論調で世の不正を糺してきた。その頑固さ故、彼は職を失ってしまう羽目になるのだが、幼なじみだったシャーロット・フィールド国務長官とチャリティーパーティでたまたま再会し、彼女専属のスピーチライターとしての職を得る。数多くの賛同者を集める為、スピーチの内容を穏健なものに変更しようとするシャーロットと、絶対に自分の思想信条を曲げるべきではない、と主張するフレッド。2人の間に政治的な対立が生じ何度も意見が衝突するのだが、激しい議論を経る事で、シャーロットとフレッドは徐々に互いの存在を認め、惹かれ合う様になっていく。この展開は非常に政治的だ。男が女に一方的に「理想」を押し付けるでもなく、女が男に「現実」を教え諭すのでもなく、互いの意見をぶつける過程で徐々に妥協点を見出していく。シャーロットとフレッドの口角泡を飛ばす議論が、やがて恋人同士の睦まじい会話へと変化していく過程が、こうした民主主義的アプローチに則って描かれる。
映画の後半、フレッドは親友の言葉によって己の人間的幼稚さに思い知らされる。他者をイデオロギーによるラベリングでしか判断してこなかった彼は、個人が様々なレイヤーの集合である事に気づいていなかったのだ。逆にシャーロットは、政治的な調整や妥協に奔走する日々の中で、いつの間にか忘れていた理念を取り戻す。本作のクライマックスが感動的なのは、恋愛と政治、この両面における人間の変化と成長が同時に描かれているからに他ならない。

 

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頻発する下ネタや馬鹿々々しいギャグなど、本作はファレリー兄弟のロマンチック・コメディを思わせて非常に楽しい仕上がりになっている。オナニーした後にものすごい勢いで飛び出た精液があり得ない所に付着する、というギャグは『メリーに首ったけ』へのオマージュだろうか。