事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ミシェル・フランコ『ニューオーダー』

暴力はやがて、見慣れた秩序へ変わっていく

昨今、某宗教団体と政権与党の癒着が明るみに出てメディアでは連日大騒ぎの様である。そのきっかけは私の住む奈良県で起きた元首相暗殺事件だった訳だが、現在容疑者とされている男は旅客機をハイジャックしたり、毒ガスを散布したりもせず、たった1人の要人を抹殺しただけで世間の空気を一変させてしまった。その意味で、この事件は我が国で(実行犯の意図を超えて)最も成功したテロルのひとつという事ができるだろう。
テロルの成功は現在の国家権力に対する不信や不満が醸成されている事を前提とする。だからこそ、本来は殺人者である筈の実行犯に対し、多くの人々から同情や共感が寄せられるのだ。3.11以降、我が国の政治に対する信頼が失墜したまま、政権与党は大衆との関係性を改善する機会を逸し続けてきた。これまでは総理大臣に全ての責任を押し付け、首をすげ替える事で大衆の眼を逸らす事ができたのだが、もはやその様な小手先の手段ではごまかされない程、大衆は絶望しているのである。人々の絶望や不安がやがて、暴力による現状変更を正当化させる。メキシコ出身のミシェル・フランコの新作『ニューオーダー』は、まさにその暴力が社会を変容させていく様を描いた1作だ。
ところで、メキシコでは71年間にわたって制度的革命党(PRI)の一党支配体制が維持されてきた、という歴史がある。その支配体制が揺らぐきっかけとなったのが、現職の大統領が麻薬カルテルに関わっていた、というスキャンダルだった。現在の日本も当時のメキシコとほぼ同じ状況に陥っている訳で、今回の事件は我が国の今後の政治状況を一変させる可能性すらある。
しかし、こうした暴力による革命が国家権力を打倒し、新しい価値観に基づく世界を切り開く事などあり得るのだろうか。ミシェル・フランコははっきりと否定する。『ニューオーダー』が恐ろしいのは、大衆の怒りや絶望が大きなうねりとなり暴力へと転じていく、という点にあるのではない。ここで描かれているのは、いかに非道な殺人や略奪が起きようとも、その混乱はやがて既存の権力の下へと収斂していき、進んでその支配や統治を受け入れていく、という事実なのだ。そこでは「新たな秩序」など生まれる筈もなく、見慣れた秩序の似姿が再生産されるに過ぎない。愚かな大衆がいつかその事に気づくまで、新たな権力による支配は続くだろう。
ミシェル・フランコはこれまで、家族を題材に採り、ふとした事をきっかけに世界が崩壊し地獄へと一変する物語を綴ってきた。『ニューオーダー』では題材を家族から国家にまで拡大しているが、そのペシミスティックな作風は健在である。