事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジョセフ・コシンスキー『トップガン マーヴェリック』

トム・クルーズの顔にはアメリカ映画の歴史が皺として刻み込まれている

今は亡きトニー・スコット出世作トップガン』が公開されたのが1986年、何と36年ぶりの続編である。私でなくとも今さらそんなもん作ってどうするんだ?と思った方は多いだろう。前作に思い入れのある方ほど、不安を抱いたのではないか。しかし、案に相違して『トップガン マーヴェリック』は、よく出来た続編といった枠を超え、近年のハリウッド映画を代表する傑作に仕上がった。相変わらず、プロデューサーとしてのトム・クルーズの眼識の高さには恐れ入るが、今作の成功は『オブリビオン』でタッグを組んだジョセフ・コシンスキーに監督を任せた事が大きいのではないか。自身のグラフィックノベルを映画化した『オブビリオン』は、あまりにルックばかりを優先した結果、映画的な興趣に乏しく感心しなかったが、山火事の消火活動に奮闘する消防部隊の姿を描いた『オンリー・ザ・ブレイブ』では泥臭くも野暮ったい男たちのドラマを正面から描いていて、なかなかの出来栄えだった。どことなくヨーロッパ志向の感じられる監督だが、実はこの手のいなたいアメリカ映画の方が向いているのではないか…と思っていたところに『トップガン マーヴェリック』である。
トム・クルーズ主演のエンターテインメント映画からあか抜けなさや野暮ったさを感じ取るというのもおかしな話だが、結局この作品が観客に感動を与えたのは愚直とでも言うべき熱意なのではないか。はっきり言って、前作『トップガン』はお話としては大した事のない、というより内容なんて何も無い映画だった。この作品が多くの人々に受け入れられたのは、キメキメの映像にイカした音楽が重なるビデオ・クリップ風の作りがMTV全盛の時代にマッチしたからであって、社会的なテーマや感動的なドラマが用意されていた訳ではない。確かに、主人公マーヴェリックの親友グースの死が作品の中心に置かれ、その死に責任を感じる天才パイロットの苦悩が描かれてはいるものの、それはあくまで映画を成立させる為に用意された物語に過ぎなかった。まさか『トップガン』のストーリーに本気で感動した者がいたとも思えないが(いたらすいません)、『トップガン マーヴェリック』には本気で感動するのである。しかも、その相乗効果だろうか、前作についても「あれはあれでいい話だったのかも…」と思えてしまうから不思議だ。
では、その感動はどの様にしてもたらされているのか。それは続編の作り手達がトニー・スコットによる前作をひとつのテキストとして徹底的に読み込み参照するところから始めているからだ。『トップガン』の映像をフラッシュバック的に挿入しつつ、ジョセフ・コシンスキーは前作のエピソードや名シーンを新たな映像技術を駆使して変奏する。本作に出演しているほとんどの俳優たちは、『トップガン』が公開された1986年には生まれてもいなかった若者たちだ。しかし、過去に根差し、新たな物語を生み出そうとする作り手たちの歴史感覚によって、俳優たちは『トップガン』の世界を生きる者としてその存在をフィルムに定着させる。もちろん、その中心にいるのは36年もの歳月を刻み付けたトム・クルーズヴァル・キルマーだろう。苦み走った彼らの表情には、紆余曲折を辿りながら未だしぶとく生き延び、また生まれ変わろうとするアメリカ映画の強靭さが体現されている様に思う。

 

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トニー・スコット出世作であり、トム・クルーズを一躍スターダムに押し上げた大ヒット作。いかにも80年代的な軽薄さを感じる作品であるが、トニー・スコットはこの路線を押し進め、やがてとんでもない境地に辿り着くのであった。