事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

樋口真嗣『シン・ウルトラマン』

全てが引用と模倣で組み立てられた批評無用の異様なリメイク

この作品、企画と脚本を務めた庵野秀明の名前ばかりが喧伝されているが、あくまで監督としてクレジットされているのは樋口真嗣である。『シン・ゴジラ』では庵野秀明が総監督と脚本を、樋口真嗣が監督と特技監督を受け持っていた。この製作体制の変化はいかなる理由によるものだろうか。庵野秀明はこの後、単独監督作『シン・仮面ライダー』の公開が控えているので、スケジュール的な問題なのかもしれない。しかし、樋口真嗣の監督した実写映画はすこぶる評判が悪い。だから本作の出来にも大いに不安を抱いていたのだが…
結論から言えば、まあこんなもんじゃないの、という感じである。『シン・ゴジラ』と同じく、一篇をポリティカルな寓話に見立てるという目論みはある程度成功しているのではないか。庵野秀明の手になる脚本は、原作のエピソードを繋ぎ合わせつつ長編映画として独自の物語を生み出していて、テレビシリーズの再編集として作られた劇場版『長篇怪獣映画ウルトラマン』的な作りである。ただ、なめショットやアップの多用など、演出そのものは円谷一よりも実相寺昭雄に近い。奇抜な構図やスタイリッシュな映像美など、実相寺作品が庵野秀明に与えた影響は大きいのではないかと思うが、まあそれはそれとして、異常に細かいカット割りと台詞の情報量の多さ、詰め込み過ぎの物語は『シン・ゴジラ』ゆずりで、このあたりに庵野&樋口コンビの作家性を見出す事も可能かもしれない。要するにそれは、オタクが自分の好きな映画やアニメについて語り始めると知らず知らず早口になるのと同じようなもので、自分の語りたい事、表現したい事が多すぎるが故に語り口が前のめりで性急になってしまう。子供っぽいと言えばこれほど子供っぽい作品もない訳だが、年代的にオタク第一世代に区分される彼らの無邪気さがこの「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」連作に奇妙な高揚感を与えているのも事実である。
だからといって、この作品の高揚感に引っ張られて作品内容を真剣に考察したり、オリジナルと比較して酷評したりする事にあまり意味はない。本作は『シン・ゴジラ』以上に過去作品からの引用や模倣が盛り込まれ、ほとんどそれだけで作られていると言ってもいい、ハイコンテクストな作品だからだ。従って、長澤まさみ演じる浅見弘子が気合を入れる時に自分や他人のお尻を叩くシーンをポリコレ的な観点から批判しても「あれは安野モヨコの漫画『働きマン』のキャラクター設定を借りている訳で…」と反論されるだろうし、長澤まさみが巨大化するシーンをセクハラだと問題視しても「あれは1958年のSF映画『妖怪巨大女』から続く、巨大女ものへのオマージュで…」と弁解されて終わってしまう。何から何まで映画を構成する全てに作り手たちの意図が反映されているから、突っ込みどころを探しても徒労に終わるだけである。唯一、米津玄師の主題歌だけは笑ってもいいかもしれないが。

 

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