事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ブランドン・クローネンバーグ『ポゼッサー』

『ポゼッサー』はかつての映画が持っていたマイナー性を思い出させてくれる

いやあ、これはいいね!デヴィッド・クローネンバーグの息子が撮ったという事で、どうせ親の七光りで作ったぬるい映画なんだろ、とたかを括っていたのだが(デヴィッド・クローネンバーグの息子である事が現在の映画界でプラスに働くのかどうかよく分からないが…)、意外や意外、なかなかの力作である。見終わった後に元気が出るというか、もちろんそんな明るく前向きな話でもないのだが、まだこういう映画にクリエィテビティを注ぎ込む人がいる事に勇気付けられる。いちいち親父の映画を引き合いに出されるのは監督としても本意ではないだろうが敢えて言えば、『イグジステンス』を思わるSFスリラーめいた道具立ての中で、『ヴィデオドローム』や『ザ・ブルード/怒りのメタファー』で描かれた、個人の妄想や情動が即物的な凶器となって他人を傷つける、という異様なテーマを湛えた物語が展開していく。もちろん、『スキャナーズ』ばりのゴア描写を挿入する事も忘れてはいない。
SF、バイオレンス、ゴア、そしてノワール。映画マニアが思わず食指を伸ばしたくなる様な要素を盛り込みつつ、それでいてただのオタクのお遊び、映画の知識自慢には終わっていないのである。作家としてのビジョンがきっちりとあって、それを表現する為に必要なものと不必要なものをきちんと選別しているので、最後まで焦点がはっきりとしている。非常に感心したのでこの監督のデビュー作『アンチヴァイラル』も観ようと思ったのだが…とっくの昔にサブスクリプション・サービスの配信は終了していて、もちろんDVDも廃盤。今となってはレンタルビデオを探し回らないと観れなくなっていた。こういうのは何とかならないもんかなあ…サブスクが街のレンタルビデオ店を駆逐したせいで、そこで配信されていない作品を観る事がますます困難になってきた。もちろん、版権料とか色々と難しい事情があるのは分かっているのだが…
とはいえ、本作の佇まいはサブスクリプション・サービスよりも近所のレンタルビデオ店や場末のミニシアター、あるいは平日昼間のTV洋画劇場で「発見」されるのが似つかわしい。要するに、80年代から90年代初頭に作られたある種の映画たちが持っていた、マイナー性を帯びている様に思う(もちろん、デヴィッド・クローネンバーグもそうしたマイナー性を有した作家の一人だった)。SF/ホラーコーナーで何の気なしに借りてきた映画が、めちゃくちゃ異常で先鋭的な内容だった時の喜びや興奮。『ポゼッサー』はその頃の気持ちを甦らせてくれる。
では、いったい何が『ポゼッサー』のマイナー性を保証しているのだろうか。過剰なゴア描写や、説明を省略したシナリオ、変質的なディテール描写など、本作を人を選ぶ作品に仕立てている要素は多分にある。しかし、私はそれ以上に常人が受け入れ難い結論を肯定的に描いている点に本作の特異さがあるのではないかと思うのだ。はっきり言ってしまえば、本作は殺人をある種の救いとして捉えているのではないか。本作のラストは救いようがないほど残酷で、恐ろしい。であるにもかかわらず、観客は何がしかの解放感を感じてしまう。それは、本作が示す異常な価値観に私たちがpossessされた事の証なのかもしれない。表面的な過激さだけで飾り立て、その実は恐ろしく凡庸で微温的な価値観に帰着する作品が多い中、本作は背徳ぶりは貴重である。