事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

マット・リーヴス『THE BATMAN-ザ・バットマン-』

探偵から騎士へ―バットマンの変貌

ここ最近、気分が落ち込んで映画の感想もなかなか書けないでいる。生きていても何もいい事がないのに、毎日朝早くに起きて仕事に行く…いつまで俺はこんな事を続けなくちゃならないんだ?別に望んで生まれてきた訳でもないのに、わざわざ顔を合わせたくもない奴に囲まれて、やりたくもない仕事をやる気のないままこなしていく…もちろん、仕事をしないと映画を観に行く金にも事欠くありさまなので、働かざるを得ないのだが。映画を観ている時は苦しさを忘れる事ができるものの、エンドロールが流れた瞬間、自分の悲惨な境遇を思い居たたまれなくなる。いったい、どうすればいいんだ!…などとうじうじ悩んでいる、という意味ではブルース・ウェインも私も似た様なものだろう。大きく異なるのは向うは大企業の筆頭株主なのに対し、こっちは低収入のサラリーマンに過ぎない、という点だ。正直、そんなに金があるんなら悩む必要なんてないだろう、と思うのだがそう上手くはいかないのが人生らしい。
DCコミックスを代表するキャラクター、バットマンの物語はこれまで何度も映像化が試みられてきたが、代表的なのはティム・バートンが監督した1989年版とその続編、そしてクリストファー・ノーランによるダークナイト・トリロジーという事になるだろう。キッチュでフリーキーな世界観を前面に押し出した前者と、スタイリッシュなノワールとして作り込まれた後者はいかにも対照的ではあるものの、どちらも主人公のバットマンブルース・ウェインが悩める男である、という設定は変わらない。もはや知らない人はいないと思うが、ブルースは幼少の頃、目の前で悪漢に両親を惨殺された、という過去を持つ。その記憶がトラウマとなり、やがてバットマンとして自警団活動を行う様になった、という設定なのだが、どちらかと言えばポップで明るい雰囲気のティム・バートン版でさえ、ブルースが過去に囚われ懊悩する姿が描かれており、両親が殺害される場面がフラッシュバックしてブルースを苦しめる、というシーンはバットマンではお馴染みのものとなっている。
猿の惑星』のリブートを成功させたマット・リーブスがメガホンを取った本作は、これまでの作品以上にブルース・ウェインの精神的な不安定さや脆さが強調されており、バットマンというヒーローからマッチョなイメージを払拭する事に努めている様だ。本作はバットマンとしての活動を初めてまだ2年の、若かりし頃のブルース・ウェインを描いているが、例えば『バットマン ビギンズ』の様に、彼がヒーローとなる為のイニシエーションが劇中に用意されている訳ではない。ブルースは殺人現場に謎めいたメッセージを残すリドラーに翻弄され、やがて自らの心に巣くった闇と対峙せざるを得なくなるのだ。
ところで、リドラーといえば思い出すのは『バットマン フォーエヴァー』だろう。ティム・バートンから監督を引き継いだジョエル・シュマッカーは『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』の酷さばかり取り沙汰されるが、少なくとも『バットマン フォーエヴァー』では堅実な手腕を振るっている。トミー・リー・ジョーンズジム・キャリーの演技はいくら何でも悪ノリが過ぎるが、ファミリー・ムービーに舵を切るという作り手の意図は十分に達成していた様に思う。更に重要なのは、ニコール・キッドマン演じるチェイス・メリディアン博士という精神科医を登場させ、ブルース・ウェインの深層心理を探る、という精神分析的なモチーフが盛り込まれていた事だ。あくまで物語のスパイス程度の扱いではあったが、例えファミリー・ムービーであったとしても、バットマンの物語においてブルース・ウェインアイデンティティ探求、というテーマはやはり切っても切れない要素なのだ。
ジム・キャリーの顔芸しか印象に残っていない『バットマン フォーエヴァー』に対し、ポール・ダノが演じる『THE BATMANザ・バットマン-』のリドラーはより生々しい、連続殺人鬼としての相貌を持つ。デヴィッド・フィンチャーによって映画化もされた「ゾディアック事件」にインスパイアされたと語るマット・リーヴスは、今作をヒーロー映画としてではなく、夜の街を舞台に探偵とシリアルキラーが暗闘を繰り広げるノワールとして描いている。確かに、犯行現場に「謎(なぞなぞ)」を残すリドラーのキャラクターはサイコミステリーの犯人役に相応しい。先行する犯人を探偵が追いかける謎解きミステリーにおいて、常人には理解できない「謎」を、「推理」という特殊な能力を駆使し解き明かす探偵は、実は犯人と極めて近しい存在である。探偵と犯人のこうした関係性はバットマンの物語ではお馴染みのものだろう。ジョーカーやペンギン、リドラーといったヴィランたちがバットマンの似姿である事はこれまで様々な作品で語られてきた。
ただ、本作は新たな連作の導入部という事もあってか、どうもストーリーが盛り上がる前に終わってしまった、というきらいがある。バットマンの物語を謎解きミステリーとして再構成する、というアイデアはいかにも魅力的だが、そもそもマット・リーヴスは謎解きミステリーの面白さを理解していないのではないか。まず前提として、本作の観客は連続殺人犯はリドラーだと最初から知っている訳である。従って、謎解きとはいっても「犯人探し=Whodunnit」として成立させる事はできない。そこで作り手たちはリドラーが殺人を繰り返す理由を「謎」として設定し、それをバットマンが追い求める「動機探し=Whydunnit」の物語を展開させるのだが、肝心の動機そのものが意外性に乏しく謎解きミステリーとしての面白みに欠ける。動機探しのサイコミステリーとして、本作のプロットはデヴィッド・フィンチャーの『セブン』ほどの強度を備えていないのだ。
前述のとおり、本作でもバットマンリドラーを過去に執着し復讐心に囚われた男として鏡像の様に描いている。しかし、リドラーの動機と結びついたクライマックスの戦闘シーンにはどうも取って付けた様な印象しか残らなかった。このクライマックスによって、ブルース・ウェインは自らのアイデンティティを探る「探偵」としての役割を放棄し、悪の手から人々を守る「騎士」へと変貌する。闇をその深奥まで覗き込む前に、彼は引き返してしまうのだ。
三部作で描かれる予定の本シリーズだが、ラストシーンを見る限り、次回作にはいよいよ、あの「切り札」が登場するらしい。闇の騎士バットマンに本質的な変化がもたらされるのは、あるいはその時なのかもしれない。

 

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