事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジャガン・シャクティ『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画』

宇宙開発事業を成功に導くのは、浮世離れした天才たちでも何でもなく、私たちと同じ様に日々の暮らしを営んでいる人々なのだ

ついこのあいだ、日本の宇宙探査機「はやぶさ2」が小惑星の砂を回収し無事に地球へ戻ってきた。大変にめでたい事ではあるが、何せそういう方面に疎い私は、だから何だよ、という感想しか持てないのである。
しかし、世の中には「はやぶさ2」を我が子か何かの様に思って必死に応援している人もいるらしく、「はやぶさ2」が帰還する模様をライブビューイングか何かで観ていたババアが涙ぐみながら「コロナで落ち込んでいたけど、これで生きる勇気が湧いてきました!ありがとう!」と言っているのをTVのニュースで見た。何で無人探査機が地球に帰ってきただけで生きる勇気が生まれるんだよ、どうせ最初から死ぬ気なんか無かったんだろ。そもそも、コロナ禍で仕事も家も失って死にたくなってる奴がこのニュース見たら怒りで全身が震えるんじゃないの。そんなよく分かんねえ砂を持って帰るのに何億円も使いやがって、こっちにも回せって思うだろ。
と、いうのは単なる言いがかりだが、ただ宇宙開発というのはすぐにそれと分かる見返りがある訳ではないので、どうしても「税金の無駄づかい」呼ばわりされるのが常である。成功すればまだしも、失敗などすれば何を言われるか分からない。宇宙開発に従事する人々は、常にその様な重圧と戦っているのだと想像する。
本作は2013年にインドが成功させた火星探査プロジェクト「マーズ・オービター・ミッション」の裏側に迫った作品である。アジア初の火星への探査機派遣(日本も中国も失敗している)、しかもNASAの1/10の予算で成功させたこのプロジェクトは、世界に驚きをもって迎えられた。しかし、それまでのインドにおける宇宙開発事業が順風満帆だった訳ではない。巨額の予算を投じたロケットの打ち上げに失敗し、世論からの反発を招いている状況だったのである。NASAの予算の1/10(これは映画『ゼロ・グラビティ』の製作費より少ないらしい)というのも、成功する可能性が少ないプロジェクトにそれほどの予算が掛けられなかった、という事情もあったろう。映画では、主人公ら開発者が低予算かつ短期間で成功させるのでやらせてくれ、と上層部を説得しているのだが、低予算といったって7,400万ドルのプロジェクトを「ダメもとでパーッとやっちゃうか!」と許可してくれる筈がない。失敗すれば無理のある計画を実現可能と大言壮語し国家に損害を与えた、と責任を追及されるだろう。その意味で、このプロジェクトに携わったチームの面々もやはり大変な重圧を背負う事になるのだが、しかし、本作が重点を置いているのはむしろ、男性社会の中で働く女性たちに伸し掛かってくる、もうひとつの重圧との戦いなのである。
このプロジェクトに参加する6人の女性科学者は、出産や離婚、家事と仕事の両立など、それぞれの問題を抱えており、現代の働く女性たちが直面する困難を反映させたキャラクターとなっている。映画は、女性科学者たちの日々の暮らしを細やかに描く事に時間を割いていて、そこから彼女たちの抱える苦悩や葛藤が浮かび上がってくるのだが、そうした描写に宇宙開発の過程をドッキングさせているのが面白い。
つまり、このプロジェクトの命運を握るスラスタ噴射による地球周回軌道の離脱、というアイデアは、主人公タラがプーリー(インドの揚げパン)を揚げる時に実行していたある節約術から生まれているのである。このエピソードが史実に基づいているのかどうかは分からないが、タラ以外のメンバーが日常で得た知恵や経験が、何から何まで探査機の開発に役立っていくという展開はいくら何でもフィクションだと思われる。もちろん、この脚色は本作を「女性映画」として成立させる為に意図されたのだろうが、結果的には、私たちの宇宙開発事業に対する見方を変え、もっと身近に感じさせてくれる素晴らしい脚色となった。火星探査を始めとする宇宙開発事業を成功に導くのは、浮世離れした天才たちでも何でもなく、私たちと同じ様に日々の暮らしを営んでいる人々なのである。それが分かったとて、前述のババアみたいに涙ぐんだりはしないが、本作のラストには思わず目頭が熱くなった。これこそフィクションの為せる技だろう。
という訳で、本作は『ライトスタッフ』の様な史実をもとにした実録ものではなく、より大胆な脚色を施し現代的なテーマを盛り込んだエンターテインメト作品となっている。このあたりは、同じチームが製作した『パッドマン 5億人の女性を救った男』と共通する部分だろう。その為、宇宙開発にまつわる緻密な科学考証とか、リアリティのある技術描写などは期待しない方がいい(CGはよく出来ていると思ったが)。そもそも本作はそういうバランスにはなっておらず、3年という極めて短い時間の中で打ち上げロケットと無人探査機を設計、開発してプロジェクトを成功させなければならない筈なのに、女性科学者の私生活やインド映画お馴染みのダンスシーン(研究室を改装する場面で唐突に始まる)でどんどん尺を取られていくので、本当に映画が終わるまでにロケットが完成するのか観ていて不安になった。

 

あわせて観るならこの作品

 

ドリーム (字幕版)

ドリーム (字幕版)

  • 発売日: 2017/12/08
  • メディア: Prime Video
 

アメリカ宇宙開発の礎となったマーキュリー計画の裏で、差別や偏見と戦いながら、計画を成功に導いたNASAの黒人女性スタッフの奮闘を描くいた作品。こちらはもう少し史実に忠実な作りとなっている。以前に感想も書きました。