事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

リチャード・スタンリー『カラー・アウト・オブ・スペース -遭遇-』

アメリカの怪奇小説家、H・P・ラヴクラフトの残した小説群を後進の作家たちが体系的にまとめた事で誕生した「クトゥルー神話」は、英米のみならず世界中で愛好者を獲得し、その系譜に連なる作品が今でも新たに生み出されている。当然、映画界もそのご多分に漏れず、神話をモチーフにした作品が多数作られてきた。「クトゥルー神話」と直接の繋がりはないにしても、間接的に影響を受けた作品となれば枚挙に暇がない(例えば、リドリー・スコットの『エイリアン』などその代表格だろう)。ただ、ラヴクラフトの原作を映画化した作品となると、なぜか日本ではあまり紹介されていない。ぱっと思いつくのはダン・オバノンの『ヘルハザード/禁断の黙示録』や、今年の3月に死去したスチュアート・ゴードンによる『ZOMBIO/死霊のしたたり』と『フロム・ビヨンド』あたりだろうか。その意味で、本作は久々の映画化であり、更にカルト的人気を博した『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』のspectorvisionとニコラス・ケイジが再びタッグを組むという事で、公開前から話題を集めていた様だ。
ニコラス・ケイジという俳優の現在の立場は非常に不思議なもので、彼が出演する近年の作品は決して世評の高い作品ばかりとは言えないにもかかわらず、公開される度に「ニコケイ映画」と呼ばれ、一部のファンから熱狂的な態度で迎えられている。ニコラス・ケイジは『リービング・ラスベガス』でアカデミー男優賞を獲得するほどの実力の持ち主だし、90年代は『ザ・ロック』や『フェイス/オフ』といった大作映画の主演も相継いでいた。フランシス・フォード・コッポラの甥という血縁関係も考えれば、ハリウッド有数の非常に立派なキャリアの持ち主なのだが、いつの間にこんなB級映画の帝王みたいな扱いを受ける事になったのだろうか。プライベートで色々と問題があったのは承知しているが、メル・ギブソンともまた世間の扱いが違う。安心して馬鹿にできる、と言えば失礼だが、何となく軽く見られながらも愛されている、みたいな感じがある。名だたる監督たちとも仕事をしているにもかかわらず、どこの馬の骨とも知れない奴らのC級映画に嬉々として出演するニコラス・ケイジの節操の無さにも理由の一端はあるのだろうが、そこで見せる彼の演技が度を越えていて思わず笑ってしまう、というのが一番の原因かもしれない。もともとこの人はすごく変な顔をしているし、更に表情も非常に豊かである。だから、彼の演技というのは常にToo Machになってしまう危険性をはらんでいて、もちろん作品によって抑制を効かせた演技もしてきた訳だが、近年オファーが相次いでいるジャンル映画に出演した際には、リミッターを完全に外している様である。で、その暴走気味の演技を面白がった人々がまた出演依頼をする、という流れになっているのだろう。
ところで、本作の原作である短編小説「宇宙からの色(異次元の色彩)」は過去にもイギリスとアメリカで映画化されており、それぞれ『襲い狂う呪い』、『デッドウォーター』という邦題で日本でも紹介されている。ただ、宇宙から落ちてきた隕石が周囲の生態系に悪影響を及ぼす、という設定は共通しているものの、前者はポオ「アッシャー家の崩壊」のプロットを借りたゴシックホラー、後者は単なるゾンビ映画になっていたので、原作に忠実な映画化とは言い難かった、らしい(らしい、というのは両作とも未見なので…)。対して本作は、現代に舞台を移しているとはいえ、基本的には原作のストーリーに沿った流れとなっている。特にラヴクラフトの原作では言葉では言い表せないものとされていた色彩(隕石の影響によって植物や動物が変色してしまう、というのが原作の中心的なアイデアである)を明確にビジュアルとして提示しているのは映画ならではの表現と言えるだろうし、マゼンタとでも呼べば良いのか、その独特な色使いが自然界にはあり得ない禍々しさを有しつつ、画面にサイケデリックな華やかさを与えている点もポイントが高い。
ラヴクラフトの小説では、既に起きた怪事件を後に関係者が語る、といった体裁が多く、原作もその例に漏れないのだが(これは短篇小説という物理的な制約もあっただろうし、そもそもラヴクラフトストーリーテリングの才が欠けていた、という事情もある)、映画版では直接の被害に遭うガードナー一家にスポットを当て、彼らが徐々に狂気に侵されていく様をじっくりと描いている。また、一家を大都会を離れ田舎暮らしを営んでいる家族と設定し、ロハス的な、いわゆる「ていねいな暮らし」ってやつですか?その手の輩が水は変質するわ、育てていた農作物もクソ不味くなるわ、飼っていた動物は気が狂うわと、とにかく散々な目に遭う物語へとアレンジする事で、昨今のサスティナブルな風潮に正面からツバを吐きかける内容になっているのも好ましい(まあ、そんな事に喜ぶのは私の様に歪んだ価値観の持ち主だけかもしれないが…)。
さて、先ほど本作を狂気に侵されていく家族の物語、と表現したが、そこに大きく貢献しているのがニコラス・ケイジの演技であるのは間違いない。もちろん、妻役と娘役(可愛かった)の人も頑張ってはいるのだが、ニコラス・ケイジ演ずる父親の、どの時点からトチ狂ったのかよく分からない、最初から観客を不安にさせる尋常ならざる佇まいは、さすがと言うべきだろう。顔だけで映画のムードを決定づける、という意味では、『シャイニング』のジャック・ニコルソンに匹敵するのではないかと思った。なぜなら、様々な名シーンが存在する『シャイニング』でも、皆が真っ先に思い出すのはドアの割れ目から覗き見えるジャック・ニコルソンのニヤケ面であった様に、色々と視覚表現を凝らした本作においても、やはり印象に残るのは腐ったトマトをゴミ箱に叩きつけたり、アルパカをショットガンでぶち殺すニコラス・ケイジの鬼気迫る表情なのである。
と、結局はニコラス・ケイジの話になってしまったが、本作は前半導入部のモタモタした感じや、終盤に登場するクリーチャーのありきたりなデザインも含めて、80年代前半に作られたホラー映画へのオマージュに満ちており、ああ、あの頃はこれぐらいのレベルのホラー映画がいっぱいあったよなあ…と懐かしい気持ちに浸ってしまった。

 

あわせて観るならこの作品

 

スチュアート・ゴードンであれば『フロム・ビヨンド』の方がクトゥルー神話に連なる作品なのだが、俳優の怪演を楽しめるという意味ではこちらがおすすめ。

 

マンディ 地獄のロード・ウォリアー(字幕版)

マンディ 地獄のロード・ウォリアー(字幕版)

  • 発売日: 2019/03/19
  • メディア: Prime Video
 

ニコラス・ケイジとspectorvisionがタッグを組んだ最初の作品。『処刑軍団ザップ』と『狼よさらば』を足して二で割った様な話だが、そこにサタニズムの様なテイストを加えた異色作。狂気すら感じさせる独特の色使いは『カラー・アウト・オブ・スペース -遭遇-』とも共通している。監督は『ランボー/怒りの脱出』『カサンドラ・クロス』などで知られる映画監督、ジョージ・P・コスマトスの息子パノス・コスマトス。