事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

エメラルド・フェネル『プロミシング・ヤング・ウーマン』

男たちは女にではなく、自らの過去に復讐される

フリージャーナリストの伊藤詩織がTBSテレビの政治部記者だった山口敬之を準強制性交等罪で告発した事件は、国内外で大きな話題となったので覚えている方も多いだろう。結局、東京地検はこの事件を証拠不十分で不起訴相当とした。その後、伊藤は山口に損害賠償を求める民事訴訟を起こし、2019年に地裁は伊藤の訴えを認めて山口に330万円の支払いを命じている(山口は判決を不服とし控訴)。また事件以降、伊藤に対しては根拠の無い誹謗中傷がSNS上で繰り返されており、伊藤はこれらを名誉棄損にあたるとして投稿者を提訴している。
以上の顛末から分かるとおり、いわゆる準強姦―心神喪失状態の第三者に対して性交等を行う事ーを刑事事件として問うのは非常にハードルが高い。性暴力という犯罪の性質上、被害者がなかなか声を上げにくい事に加え、心神喪失状態で被害にあっているから法的に立証するにも困難が伴う。そもそも私たちの社会には「男性と部屋で二人きりになるのが迂闊であり、襲われても仕方がない」といった不合理な通念が存在している。こうした偏見が更に被害者を追い込み、孤立させていく。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』の主人公、キャシーは近所のカフェでバリスタとして働きながら、夜な夜なクラブやバーで泥酔したふりを装い、下心を持って近づく男たちに次々と制裁を加えていた。彼女はもともと医者志望の才媛だったが、医学部に在籍中、親友のニーナが同級生にレイプされ自殺したのをきっかけに退学し、両親のもとで無為な暮らしを送っている。親友を襲った悲劇とそれを一顧だにしない世間の無慈悲さに打ちのめされた彼女にとって、夜毎繰り返す復讐だけが生き甲斐なのだ。
となると、キャシーが男たちにどんな制裁を加えているのか気になるところだろう。チ〇コを切り落としたりショットガンでどてっ腹に穴を開けたり、そんなド派手な手段を期待する向きも多いに違いない。しかし、本作はその様な復讐をテーマにしたエンターテインメント映画とは趣を異にする。冒頭のシーンを例に取ろう。クラブで酔いつぶれた(ふりをしている)キャシーを部屋に連れ込んだ男が、ベッドに横たわる彼女の下着を脱がそうとする。するとキャシーがやおら起き上がり「てめえ、何やってんだ!」と男を一喝するのだが、そこで映画はタイトルシークエンスにあっさり切り替わってしまう。キャシーが男をどんなひどい目に遭わせるのか、序盤は敢えて伏せているのかと思ったが実はそうではないらしい。キャシーの制裁とは、酔った女を部屋に連れ込んでいやらしい事をしようとする男たちに説教をする事なのだ。
これは従来の「復讐もの映画」と比べていくら何でも地味過ぎるし、そもそもこんな事を繰り返していたら、中には逆上して襲い掛かってくる奴もいるんじゃないか、とも思うのだが、要するに本作は、この手のジャンル映画に期待されている様な、暴力に暴力で対峙する展開をあくまで拒否している。加害者と被害者の立場が逆転する瞬間に観客にカタルシスを与えるのがこうした映画のお約束だが、本作では男=加害者、女=被害者という構図は最後まで変わらない。
レイプ事件が起きた当時、ニーナの証言をまともに取り合わず、彼女を自殺に追い込んだ大学部長と学友、この二人の女性に対してもキャシーは復讐を完遂する。しかし、それも直接的な暴力によってではない。キャシーの目的は、彼女たちの心にニーナが感じた恐怖と絶望を刻み込み、女が男たちの暴力に晒され続けているこの世界の現実を、はっきりと知らしめる事にあるのだ。
映画の終盤、キャシーは初めて直接的な暴力によって復讐を行おうとするが、あえなく失敗してしまう。ここでも、加害者としての男、被害者としての女、という性差と暴力をめぐる関係性は揺るぎはしないのだ。襲い掛かる男たちを超人的な力によって撃退する女などしょせんは映画が生み出したファンタジーに過ぎない。エメラルド・フェネルは、そんな映画が男たちにもたらすカタルシスや贖罪などクソくらえとばかりに突き放す。この映画の男たちは女にではなく過去に復讐されている。#MeToo以降、男たちは自らの過去を「若気のいたり」といった言葉で片づける事が許されなくなったからだ。既に終わった事として記憶の片隅に追いやっていた過去が現在の問題として立ち現れる。オリンピックをめぐるゴタゴタを見れば、それは一目瞭然だろう。だから、本作は男たちに何やら居心地の悪さを与えるに違いない。その居心地の悪さの正体に気づく事が現状を変えていくきっかけになる筈である。

 

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といいつつ、女が超人的な能力で男たちを屠っていく復讐エンターテインメントもやっぱり楽しいのだが。こちらはフランスの女性監督コラリー・ファルジャによるエクストリームな1作。以前に感想も書きました。