事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

アダム・ウィンガード『ゴジラvsコング』

世界は、ついに怪獣プロレスのリングと化した

レジェンダリー・エンターテインメントとワーナー・ブラザース・ピクチャーズの共同製作による「モンスターバースシリーズ」も、ゴジラキングコングが対決する本作でいよいよ大団円を迎える事となった。好調な興行成績を受けてシリーズの継続も検討されているらしいが、とりあえずは一区切りといったところだろう。比較的キャリアの浅い若手監督を抜擢し続けてきた本シリーズだが、特に『GODZILLA ゴジラ』のギャレス・エドワーズと『キングコング: 髑髏島の巨神』のジョーダン・ヴォート=ロバーツはオリジナル版はもちろんクラシックな怪獣映画に最大限の敬意を払いつつ、見事にハリウッド製エンタメ映画に仕上げた手腕が高く評価された。この2作については迫力あるモンスターバトルもさる事ながら、人間ドラマのパートについても手堅くまとめられ、そのバランスの良さが成功した要因だったと思う。
ところが、マイケル・ドハティによるシリーズ3作目『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』ではド派手なアクションシーンに重きを置くあまり、人間ドラマの完成度が大きく低下し、大味な怪獣プロレスものに変貌してしまう。詳しくは、以前に私が書いた感想を読んで頂きたいのだが、登場人物がいきあたりばったりに行動し、たまたまそれが功を奏する、というご都合主義的な展開がひたすら続くのだ。もちろん、我が国のゴジラだって同じ様な道を辿ってきたので致し方ない面もあるのだが、ダラダラしたドラマパートのせいで、全体を通してテンポが悪くなっていたのは否めない。
アダム・ウィンガードがメガホンを取ったシリーズ第4作『ゴジラvsコング』はその反省からだろう、もはやドラマパートなど存在しないも同然の開き直った作りになっている。とにかく、キングコングゴジラが大暴れすればいいんだろ、と言わんばかりに、怪獣たちの大乱闘シーンが映画の大半を占め、その場つなぎに人間たちの無意味な行動と無意味な会話が挿入されていく。確かに、前作にも登場したマディソン・ラッセルを含め、登場人物たちはそれぞれの思惑に従って行動するのだが、物事の優先順位がおかしいというか、なぜ今そんな事をする必要があるんだ?と疑問に思う事ばかりである。怪獣が街中で大暴れしている最中に、巨大企業の陰謀を暴いてネット配信しようとするとか、そんなのもうちょっと落ち着いてからやればいいだろうに。
確かに、東宝が1962年に公開した『キングコング対ゴジラ』だって、めちゃくちゃいい加減な映画である。しかし、それでも人間と怪獣たちの関わり方というか、怪獣が出没する社会のすがたがコメディタッチではあっても丁寧に描かれていた。『ゴジラvsコング』の場合、地底世界とかサイバネティクスとか色々と凝った設定を盛り込んだ割りに、そこで生活する人間たちの生活が全く描かれていないので、世界観がものすごくぼやけてしまっている。前作では怪獣プロレスを中心に据えながら、それでも人間と自然の関係、親と子の関係を何とか描こうとしていた。その語り口は非常に不器用で映画のテンポを悪くしただけだったかもしれないが、本作ではもはやその意思すら感じられない。要するに、ここで描かれた世界は、怪獣プロレスのリングに過ぎないのだ。

この人間描写に対する淡白さが怪獣映画としてはまだしも、パニック映画としての本作の面白さを大きく損なっている。怪獣から逃げ惑う人々の姿を見ても、巣を壊された蟻を見ているのと同じだから、何の感情も湧いてこない。最後の最後に〇〇〇〇〇が登場する場面は非常に興奮したし(デザインについては大いに不満が残るが)、これがやりたかったが為のあの設定だったのか、というのも理解できたが、それにしたってもう少し見応えのあるドラマを用意できなかったのだろうか。テンポが良くなった分、何の引っ掛かりもなく終わってしまう、非常に印象の薄い映画になってしまった。白目をむき出しにした小栗旬の顔だけは強烈なインパクトがあったが。

 

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