事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ロバート・エガース『ライトハウス』

半人半漁の怪物も邪悪な海神も、暗く深い虚無の渦へと飲み込まれていく

17世紀のセイラム魔女裁判をモチーフにした『ウィッチ』で高い評価を得たロバート・エガース監督の2019年の作品『ライトハウス』が、ようやく我が国でも公開された。日本でも信用できるブランドとしてすっかり定着したA24製作、カンヌ映画祭でも絶賛されていた本作の公開がなぜここまで遅れたのか、その事情はよく分からないが、登場人物がウィレム・デフォーロバート・パティンソン演じる2人の灯台守だけ、しかもモノクロ撮影という本作のルックが地味すぎると敬遠されたのかもしれない。
閉ざされた空間を舞台に、恐怖や猜疑心を次第に募らせていく人々が破綻を迎える様をオカルト要素を交えつつ描いていく、という意味では、本作は『ウィッチ』から多くの要素を引き継いでいる。しかし、『ライトハウス』の湛える重苦しさ、息苦しさは前作を遥かに凌ぐ。それは、正方形に切り取られたスクリーンサイズが圧迫感を感じさせるから、という理由だけではないだろう。同じテーマを扱いながらも『ウィッチ』と『ライトハウス』は正反対のベクトルを向いている様に思うからだ。
『ウィッチ』では、17世紀のキリスト教信仰を大枠に、次いで厳格な家父長制、最後に女性の身体そのもの、という入れ子構造の閉鎖空間を設定し、アニャ・テイラー=ジョイ演じる主人公の少女が次々にその殻を食い破り、外部へ抜け出ようともがく様が描かれていた。主人公の一家が住む家のすぐ傍らには魔女が住むと言い伝えられる森があり、決して足を踏み入れてはならない、と母親は子供たちを戒めているのだが、その禁忌を破りカタストロフを呼び込む事で、少女は永遠の自由を手に入れるのである。だからこそ、ラストで描かれる不吉なサバトの場面に観客は解放感を感じる事ができたのだ。
それに対し、海に囲まれた孤島で灯台守の任にあたる『ライトハウス』の2人の主人公は、巡視船が迎えに来るまで外部へ出る事ができない。更に、4週間の勤めを終えた後に島を出る手筈だったのが、突然の嵐によって船が到着せず、島に留まる事を余儀なくされてしまう。外部への道を閉ざされた結果、彼らは否応なく自らの存在と向き合わざるを得なくなる。内から外へ、ではなく外から内へ。『ライトハウス』の灯台守たちは、暗く深い自らの深淵へと否応なく沈み込んでいく。そこには『ウィッチ』の少女にもたらされた救いなど微塵も存在しないだろう。
当初こそ、彼らの間には明確な上下関係が存在した。年老いた灯台守は若い灯台守にあらゆる雑事を押し付ける一方、灯台の灯りにはいっさい手を触れさせようとしない。その事を不満に思いながら、若い灯台守は経験豊富な老灯台守の指示に従わざるを得ないでいた。『ウィッチ』で描かれた父娘の関係性の反復とも言えるこうした支配的な構図はしかし、彼らが嵐によって孤島に閉じ込められたのをきっかけに変質し始める。老灯台守が語っていた船乗りとしての経歴が全くのでたらめだと分かり、海の男としての彼の優位性が大きく揺らぐ事になるのだ。その一方、若い灯台守もまた自らの過去を偽っていた。だから、師匠と弟子の様な彼らの関係性は全て虚偽の上に成り立っていたに過ぎない。むしろ、2人の灯台守は共に本当の自分の姿を見失った虚ろな存在であり、その意味では鏡像関係にあると言えるだろう。彼らは鏡に写った似姿によって自らの実在を確かめ合う。
ライトハウス』の灯台守たちが直面する、虚ろな鏡像―虚偽の上に虚偽を重ねて隠そうとしたその黒々とした空洞に、やがて様々な怪異が波の様に押し寄せる。ギリシャ神話の海神トリトーンや半人半漁の怪物セイレーン、更にはクトゥルフ神話の邪神ダゴンがごた混ぜになって登場し、物語の後半から本作は一気に怪奇映画としての色彩を強めていくのだが、『ウィッチ』における魔女と同じく、灯台守たちの前に姿を現す怪物や邪神が実在したのかは最後まで分からない。それは、彼らの抱える実存的な不安が生んだ幻影なのかもしれないし、彼らの心に巣くう自己愛的な欲望に対するアンビバレントな感情が顕在化したのかもしれない。
しかし、いくら未知なる怪異を呼び寄せようとも、あるいは我が身を焼き尽くす聖なる光を望もうとも空隙は遂に埋まらず、男たちはその虚ろな身体を無様に晒すしかないだろう。若い灯台守が海鳥にはらわたをついばまれる、その陰惨なラストシーンにおいて、映画はその残酷な事実を突きつける。

 

あわせて観るならこの作品

 

ウィッチ(字幕版)

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  • アニヤ・テイラー=ジョイ
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ロバート・エガース監督の長編デビュー作。魔女狩りというオカルト的なモチーフを使いながら、親子関係の破綻を描くという意味では『エクソシスト』にもテイストが近い。

 

同じ灯台守のお話という事で。ウェルメイドなドラマを得意とする木下恵介の代表作のひとつだが、序盤にJホラーみたいな演出があってギョッとする。