事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ケヴィン・マクドナルド『モーリタニアン 黒塗りの記録』

テロに恐怖する人々の暴走が、新たなテロリストを生んでいく

キューバグァンタナモ米軍基地内に設置されたグアンタナモ湾収容キャンプには、アメリカ軍によってテロへの関与を疑われ強制連行された人々が、未だに収容、監禁されている。この施設は2002年、ジョージ・W・ブッシュ政権下で設立され、囚人に対する拷問に近い尋問や法的根拠の無い長期間の抑留など、重大な人権侵害がまかり通っていると国際的な非難を浴びてきた。オバマ政権下において同施設の早期閉鎖が検討されたものの、2021年現在でもそのメドは立っていない(バイデンは任期中の閉鎖を目指す、と表明している)。
この収容所での非人道的な振る舞いが知られる事となったきっかけは、2004年の赤十字国際委員会からの報告とされているが、囚人の1人だったモーリタニア人モハメドゥ・ウルド・スラヒの手記によって、アメリカ軍のあまりにも残酷な取り調べの実態が多くの人の知るところとなった。本作はそのモハメドゥの手記をもとに、彼と人権派弁護士ナンシー・ホランダーがアメリカ軍の非道を法廷に訴え、釈放命令を勝ち取るまでを描いている。監督は『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』ケヴィン・マクドナルド。主演はお久しぶりのジョディ・フォスターで、さすがに貫録の演技を見せてくれる。
ウサーマ・ビン・ラーディン殺害作戦の実態を描いたキャスリン・ビグローのサスペンス映画『ゼロ・ダーク・サーティ』では、ビン・ラディンの居所を割り出す為にCIAが拷問まがいの取り調べを行うシーンがあり物議を醸したが、本作で描かれるアメリカ軍の所業はその比ではない。手錠による拘束、フラッシュライトや爆音でかかるヘビメタによる睡眠妨害、長時間にわたって同じ姿勢を続ける事を強要され、女性兵士との性交渉まで無理強いされる。グアンタナモ湾収容キャンプには最大779人もの容疑者が収容されたが、実際に有罪が確定したのは8人だけ、しかもその内3人が上級審で判決が覆っている。要するに、あやふやな状況証拠や真偽も疑わしいタレコミによって怪しいと睨んだ人間を片っ端から拘束し、拷問まがいの取り調べで自白を強要、自白が引き出せないと超法規的措置で長期間にわたり拘束し続ける、民主主義を標榜する国家とは思えない所業がこの施設では常態化していたのだ。もちろん、軍部もこれが明らかに違法な行為である事は理解していた。ナンシーが政府に開示請求した容疑者の取り調べ記録は、ほとんどの頁が機密事項の名の下に真っ黒に塗り潰されていたからだ。
ところで、マイケル・ムーアアメリカ合衆国の医療制度の実態に迫ったドキュメンタリー『シッコ』では、経済的な理由から必要な治療さえ受ける事ができないアメリカ国民と、テロ容疑者として最先端の医療設備によって健康状態を管理されているグアンタナモ湾収容キャンプの囚人たちが対比されている。マイケル・ムーアは困窮する病人たちを船に乗せ、グアンタナモ湾から「彼らにも囚人と同等の医療を受けさせてくれ」と収容所の守衛に呼びかける。もちろん、これはマイケル・ムーア一流の皮肉の効いたユーモアだろう。囚人たちがそこで受けている苦痛を考えれば、いくら母国の医療制度に不満があろうと、とても羨む事などできない。収容所内の医療体制についてもアメリカ政府が対外的にアピールしていたものであり、実際に正しく運用されているのかも疑わしい。ただ、私は本作を観てこうした医療設備は囚人たちの命や健康を守る為ではなく、軍が死なない程度に拷問を継続する為に使われていたのではないか、という気がした。彼らは囚人を永遠に続く生き地獄へ突き落とす為に、医療を利用したのだ。
正義の名の下に行われる非道な振る舞いが、また新たなテロ犯罪の種となっていく。西欧諸国と中東諸国の間に溝を生み、憎悪や恐怖を醸成させる。こうした悪循環を断ち切る方法は無いのだろうか。人間とは、そこまで愚かで醜い存在なのだろうか。釈放後、全てを許すと言い、笑顔でボブ・ディランの曲を口ずさむモハメドゥの姿に希望を見る想いがした。

 

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9.11以降のテロ撲滅作戦を指示したディック・チェイニーブッシュ大統領の実態に迫った作品。以前に感想も書きました。彼らがアメリカ国民を扇動した道具もまた、人々の抱える憎悪や恐怖だった。