事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジョン・クラシンスキー『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』

前作の世界観が大きく拡張され、ポストアポカリプスものとしての性格が強まった第2作

私は前作について「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の「サイレント図書館」とやっている事は同じ、と書いた。眼が見えない代わりに聴覚が異常発達したエイリアンに地球が侵略されている、というのが作品の核となるアイデアである。主人公一家は音を立てない様に細心の注意を払って暮らしているものの、素足に釘がぶっ刺さって声が出そうになるとか、子供のおもちゃから電子音が鳴りだすとか、様々なアクシデントが襲い掛かり、その度に危険にさらされてしまう。ストーリーは基本的にこの繰り返しなのだが、ホラー映画として恐怖を盛り上げる「静から動」への場面転換が、「無音から騒音」というサウンド面での演出と完全にリンクしているのが作品の肝なのである。このシンプルかつ工夫に満ちた構成が評判を呼び、前作は国内外でスマッシュヒットとなった。
そのヒットを受けて予算も大幅にアップしたのだろう、3年ぶりに公開された続編では限定された空間を舞台にした前作とうって変わり、廃工場や波止場、孤島など多彩なシチュエーションが用意されている。また、主人公一家以外に生き残った人々との交流が描かれる事で、よりポストアポカリプスものとしての性格が強まり、物語の背景や舞台設定の輪郭がはっきりした。要するに『ウォーキング・デッド』っぽくなったので、ここからいくらでも続編やスピンオフ作品が作れそうだ。当然、連続ドラマ化も期待できるかもしれない。
作品の規模がスケールアップしたものの、監督ジョン・クラシンスキーの確かな演出力は今回も健在である。その実力は「DAY1」と題された今作のプロローグ、エイリアンが地球に攻め込んできた、そもそものはじまりの日を描くシーンで大いに発揮されている。緊張感と恐怖感が思う存分に味わえるこの場面でのパニック演出は素晴らしく、スティーヴン・スピルバーグの『宇宙戦争』に匹敵すると言っても過言ではない。ただ、このシーンの出来が良すぎるせいでその後の展開が見劣りするというか、そもそもこれは脚本の責任でもあるだが、多くのシーンが前作の焼き直しに見えてしまう。例えば、エイリアンに追われたマーカスが窯の中に逃げ込んだところ、ロックが掛かってしまい窒息しそうになるというのは前作のサイロ内でのエピソードそっくりだし、スプリンクラーを使ったエイリアンへのかく乱作戦も前作の花火と同じである。最後の最後、リーガンがエイリアンを倒す方法もほとんど変わり映えがしない。
前作で描かれた世界観を引き継ぐかたちで続編が作られているので、ある程度は展開が似てしまうのも仕方がないだろう。ただ、本作で初めて導入されたポストアポカリプス的な要素―生き残った人々が形成するコミュニティや暴徒化した集団などの描写が十分ではないので、どうも更なるシリーズ化への橋渡し的な、中途半端な印象を受けてしまう。後から思い返してみると、こうした世界観を拡張する要素が導入されたにもかかわらず、この続編はびっくりするぐらいこじんまりした話なのである。『バイオハザード』のポール・W・S・アンダーソンミラ・ジョヴォヴィッチの様に、ジョン・クラシンスキーとエミリー・ブラント夫妻が『クワイエット・プレイス』ユニバースをこれから拡張していくつもりなのかは分からないが、次作以降はこれまで語られてきた「家族の物語」からの脱却が必要となるのは間違いない。

 

あわせて観るならこの作品

 

侵略ものホラーとしてスマッシュヒットを果たした前作。エミリー・ブラントの見せ場はこちらの方が多いかもしれない。以前に感想も書きました。