事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジョン・バリンジャー『テッド・バンディ』


法律家になる事を夢見てロースクールに通う好青年テッド・バンディは、ワシントン大学の医学部職員でシングルマザーのエリザベスと恋に落ちる。彼女の娘ともすぐに打ち解け、幸せな日々を送っていたテッドだったが、ある日ソルトレイクシティで起きた誘拐未遂事件の容疑者として逮捕されてしまう。身に覚えのない殺人事件の容疑を次々と掛けられていくテッド。彼の無実を信じて待ち続けるエリザベスの為に、遂に脱獄を決意するのだが…
このあらすじは真っ赤な嘘である。テッド・バンティはアメリカの7つの州にまたがって、誘拐、強姦、強盗、殺人を繰り返した正真正銘の殺人鬼なのだ。彼は4年の間に30人の女性を殺害し死刑判決を受けたが、明かされていない多数の余罪があったとされている。
何しろ「シリアルキラー」という言葉が生まれるきっかけとなったぐらい有名な殺人犯だから、これまでに何度も映画の題材となっている。『ダブルフェイス』『テッド・バンディ 全米史上最高の殺人者』といった劇映画はもちろん、本作の監督ジョー・バリンジャーもNetflixで『殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合』というドキュメンタリーを撮っている。今年になって、Amazon prime videoオリジナルで『テッド・バンティ~連続殺人犯を愛した女~』というドキュメンタリーシリーズも配信された。映像化された作品数ではエド・ゲインと肩を並べるのではないだろうか。
しかし、本作はそうした過去の作品とは全く異なるアプローチで撮られている。テッドが実際に女性を誘拐したり殺したりする場面はほぼ描かれず、映画の中心になるのはあくまでテッドとエリザベスの愛の物語なのである。だから、私が冒頭に書いた様な「冤罪サスペンス」としてこの映画を観る事も可能だ。それはある意味、客観性を欠いた視点と言えるかもしれない。しかし、そもそもテッド・バンディという男について、客観的な視点に立てる者がどこにいるのだろうか。スクリーンを見つめる私たちはもちろん、恋人であるエリザベスも、テッドの妻となるキャロルも、事件の調査を進めるフィッシャー刑事も、それぞれの立場から主観的にテッドを把握するしかないのである。
例えば、エリザベスとフィッシャー刑事が互いに「あなたは本当の彼(テッド)を知らない」と言い合う場面を思い出してみよう。エリザベスは連続殺人犯としてのテッドを「偽」だと思い込み、自分と一緒にいる時の優しい彼こそが「真」の姿だと主張する。フィッシャー刑事は彼女とは逆に、殺人犯としてのテッドこそが「真」なのだと断ずる。しかし、どちらが「真」でどちらが「偽」なのか、それは決定不能な問題として宙吊りにされるしかない。テッド・バンディが本当に殺人を犯していたかどうかは重要ではない。問題は、私たちが他者の「真」の姿に辿り着く事など不可能である、という事なのだ。
だから、あなたがこの映画を観て「こんなに魅力的な男性が本当は恐ろしい殺人鬼だったなんて!」と考えるのは間違っている。あなたが目撃した「魅力的な男性」も「恐ろしい殺人鬼」も、どちらも「本当」であり「本当」ではないのだから。複数の視線が交錯する、その中心に立ちながら決して明確な像を結ぶ事のない存在の不可解さを、主演のザック・エフロンは見事に演じ切っている。

 

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万田邦敏監督の傑作。たまたまTVで見かけただけの無差別殺人犯に深い愛情を抱くOLを小池栄子が演じる。その愛は不可解としか思えない様な一途さでもって描かれるが、彼女にとって、そもそも周囲の理解など必要ではなかった事が、衝撃のラストシーンで宣告されるのだった。

 

 ジョン・バリンジャーが監督したドキュメンタリー版は未見なので、Amazon primeで配信されているこちらを。テッド・バンディの犠牲になった女性たちを「被害者」という言葉で済ますのではなく、彼女たちが被害に遭う前までどんな人生を送り、将来にどんな夢を描いていたのかを、丁寧な取材によって拾い上げていくこのドキュメンタリーシリーズは、60年代後半から巻き起こった女性解放運動を視野に置き、テッドの犯罪を女性を「所有」しようとする男性原理の病理的形態の果て、と断じている。映画版では語られていなかった事実も紹介されているのでお勧め。