事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

周防正行『カツベン!』

 

竹中直人がホイッ、ホイッ、とか言いながら廊下をピョコピョコ歩いていると、床板がズボッと抜けてビックリ!みたいなシーンとか、主人公に向かってピストルを構える音尾琢真の上に看板が落ちてきてバタンキュー、みたいなシーンとか、予告編を観て「今どきこんなギャグで笑う人がいるのか…?」と不安に思っていたのだが、本作はこのノリのまま最後まで突っ走っていくのでちょっと驚いた。ヒロインが大の苦手の蜘蛛を見て悲鳴を上げるシーンなど、もはや子供向けのアニメでもやらないだろう。ある意味、腹が据わっている。
周防正行の作品は何よりもまず、その風変わりな題材選びに特色がある。学生相撲や社交ダンス、舞妓といった特殊な世界を、綿密な取材と細やかなディテール描写でリアルに再現する。しかし、その作風は(社会批評的な色彩の強い『それでもボクはやってない』や『終の信託』は例外として)あくまでライトでポップ。だから、私たちは登場人物のドタバタに大笑いしながら、未知の世界についての知識を得る事ができる。
本作は明治から大正にかけて、日本でのみ隆盛を誇った活動弁士の世界を舞台とした青春コメディである。ここでも、周防正行の圧倒的なディテール描写が光る。自身のフィールドでもある映画がテーマとあって、そのこだわりぶりは凄まじく、劇中で挿入されるサイレント映画の名作群―『椿姫』『金色夜叉』『ノートルダムのせむし男』『十戒』『不如帰』を撮り下ろしで完コピし、更に『南方のロマンス』や『後藤市之丞』『火車お千』といったオリジナルのサイレント映画まで作ってしまう熱の入れよう。周防正行の映画に対する情熱や正確な知識、その技術力の高さを存分に味わう事ができる。良心的な映画館が、悪徳映画館による引き抜き工作や嫌がらせによって窮地に立たされる、というプロットはマキノ雅弘『日本侠客伝』シリーズへのオマージュだろうか。
しかし、その豊かな細部と相反する様に物語の展開はかなり雑で、登場人物の描き込みも不足している。冒頭で紹介したギャグシーンもどこか上滑り気味で、過去作のセルフパロディの様だ。今回は脚本を他人に任せている影響もあるのだろうか、ストーリーテリングという面についてはどうも弛緩した印象が拭えなかった。
とはいえ、本作の脚本にも見るべきところはあり、特に活動弁士という映画と話芸が合体した特殊な存在を描きながらも、同時にその限界を提示してみせた点は面白かった。かつては、一世を風靡した活弁士でありながら、今では落ちぶれ酒を飲んだくれている山岡(永瀬正敏)が、活弁士志望の青年俊太郎(成田凌)に、「映画というのは既に完成されている。我々の存在は不要なのだ」と嘆く場面がある。劇中でも述べられている通り、活弁士の仕事はあくまで映画の「説明」なのだが、本来映画とはそうした説明抜きに映像だけで理解できる様に作られている筈だ。要するに、活弁士の仕事は本質的に蛇足に過ぎないのである。
ライバル映画館の社長、橘(小日向文世)の策謀によって喉を潰された俊太郎を助ける為に、新進女優の梅子(黒島結菜)が相手の女役を引き受け、二人で弁士を務める場面では、本来の活弁士の仕事である「説明」を超えて、「吹替=演技」の領域に踏み込んでいる事が分かる。この後、映画は「説明」が「演技」に、そして「編集」や「創作」へと変化していく様を描くのだが、周防正行は、日本において外国映画がどの様に受け入れられてきたか、その変遷の過程を端的に示しながら、映画という枠組みを超えて、私たちが異文化とどの様に対峙してきたか、という問題にまで射程を伸ばしている。
 

あわせて観るならこの作品

 

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トッド・ヘインズによるジュブナイル映画。サイレント映画からトーキー映画への変遷が裏テーマとなっているこの作品では、同じ様に架空のサイレント映画が作中作として挿入されている。 以前に感想も書きました。

 

Shall we ダンス?』『舞子はレディ』、そして本作に共通しているのは、作品の雰囲気がすごくフジテレビっぽい、という事(『舞子はレディ』は実際にフジテレビ製作)。フジテレビは、連ドラに厚化粧させただけの映画を作っている暇があったら、周防正行矢口史靖にもっと金を出して映画を撮らせるべきだ。この2人は「面白いフジテレビの映画」を撮る事のできる稀有な存在なのだから。