事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

グレタ・ガーウィグ『レディ・バード』

 

レディ・バード [Blu-ray]

レディ・バード [Blu-ray]

  • 発売日: 2019/07/03
  • メディア: Blu-ray
 

自らを”レデイ・バード”と名乗る女子高生クリスティンは、進路をめぐる言い争いに興奮するあまり、母親の運転する車から飛び降りてしまう。この冒頭シーン以降、彼女の右腕にはピンク色のギブスがはめられ、映画の終盤までそれが外される事はないのだが、この翼をもがれた鳥が大空に飛び立とうともがく高校生活最後の1年間が、本作では描かれる。それだけなら、本作はスクールカースト下層に位置するこじらせ女子を主人公とした青春映画のバリアントであり、取りたてて珍しいものではないし、過去には『ゴーストワールド』や『勝手にふるえてろ』といった傑作が既に撮られてもいる。本作が傑出しているのは、主人公”レディ・バード”が持つ青春期の葛藤を中心に据えながら、その周囲にいる家族や友人、教師たちの姿を丹念に描く事で、こうした苦しみが若さゆえの特権ではない事をドライに示している点だ。人間の単一的な側面を肥大化させたキャラクターをばら撒いて、その内のどれかが観客の共感を誘えばいい、といった自堕落な作品が横行する中で、監督と脚本を手掛けるグレタ・ガーウィグの徹底したリアリズム志向は賞賛に値する。彼女は人間の複雑さを決して恐れない。特に、母親と娘のいさかいを描いた場面はどれも素晴らしい。反目し合っていた母親と娘が、量販店で洒落たドレスを見つけた瞬間に意気投合する。逆に、娘が気に入った洋服に母親がケチをつけた事から、愛の存在をめぐる深刻な衝突が生じる。愛情と憎悪、調和と反発、些細なエピソードをきっかけに登場人物たちの感情は激しく揺れ動き、人と人の関係性は移ろっていく。このきめ細やかで誠実な描写は、グレタ・ガーウィグが最大限の注意をはらって対象に接しているからこそ生まれるものだろう。そこに、世界に対する無限の愛が存在している事は、この映画を観終わった方々には既にお分かりの筈だ。