事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

デイミアン・チャゼル『ファースト・マン』

 

 

おそらく、アポロ11号による月面着陸をテーマにした映画としては、人々の期待に応える作品ではないだろう。デミアン・チャゼルは本作をニール・アームストロング船長をめぐる、きわめてパーソナルな物語として描いているからだ。そこには、米国の科学技術に対する賛美も、ソ連との宇宙開発競争を制した高揚感もまるで描かれず、月面に星条旗を立てる有名な場面すら周到に省略されている。臨場感のある映像で、自分がロケットに乗っている様な感覚を味わった観客は、最後の最後に置いてけぼりを食らった気になるだろう。結局、アームストロング船長にとって、この月面着陸がどの様な意味を持つのか、映画は分かりやすい結論を用意してくれないからである。この、たった1度きりの、決して他人には共有できない体験を、デミアン・チャゼルは描き続けてきたのではなかったか。他人には計り知れない、当事者だけが知る事のできる体験とは、死のメタファーでもある。

星条旗の代わりに、アームストロング船長が月面に降り立つ第一歩、その一歩目をカメラは憑かれた様に写し続ける。この為にどれほどの犠牲が払われたのか。試験飛行の不時着から幕を開けるこの映画では、NASAによる宇宙開発が、常に死と隣り合わせであった事を隠そうとしない。まるで棺桶の様に描かれる宇宙船のコクピット。最終的な目的地である月面は、死者達が彷徨う虚無の世界の様だ。

この偉大な第一歩が、人類の新たな未来を切り開く始まりだと人々は思っただろう。しかし、ニール・アームストロングにとって、それはひとつの終わりだったのだと映画は指し示し静かに終わる。

 

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アポロ11号の月面着陸については「そんな事できっこない!これはNASAと政府のデッチ上げだ!」みたいな陰謀論を信じ込んでいる人が未だにいる。この映画はその手のトンデモ論をポリティカル・サスペンスとして上手く昇華した良作。まあ、月じゃなくて火星だけど。

 

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初の月面着陸から3年後に起きたアメリカ宇宙開発史上、最大の危機を映画化したロン・ハワードの名作。『ファースト・マン』でも描かれた67年の火災事故が本作にも不吉な影を落とす。ニール・アームストロング船長もちょこっとだけ登場します。