事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

イ・チャンドン『ペパーミント・キャンディ』

 

映画の冒頭、主人公が夜間学校の同窓生によるピクニックに参加し、酒に酔ってひとしきり騒いだ後、高架線路の真ん中に立って列車が来るのを待っている。トンネルを抜けた列車が主人公の目前に迫った瞬間に映画はストップし、走る列車から見た映像が映し出されるが、流れていく景色から、それが逆再生されたものである事が分かる。この映像は劇中で章を区切る形で度々挿入され、線路を逆走する列車の動きに合わせて映画の時間軸はどんどん遡り、主人公が自殺行為に走るまでに至った経緯を明らかにしていくだろう。

各章の始まりには章題と共にテロップで年代を表示しているのだから、わざわざ走る列車の姿を逆再生で流さなくても、観客はこの映画が時間を遡っている事ぐらいすぐに分かる筈だ。イ・チャンドンはなぜ、説明過多とも思える映像を律義に挿入し続けるのか。それは、映画というものが基本的に反遡行的な性質を持っている事を理解しているからである。線路の上で主人公は、「もう戻れない」と涙ながらに叫んでいた筈だ。

絵画や彫刻と異なり、時間芸術である映画は現実の時間の流れに大きな影響を受ける。例えば、この映画から年代を示すテロップや逆再生の映像を取り払ってみればいい。もちろん、役者たちはそれぞれの年齢に相応しいメイクを施しているのでそこから推量する事はできるものの、次々に時間を遡るという本作の構造は途端に分かりにくいものになるだろう。(たとえフラッシュバックで過去の場面が挿入されようと)最終的には現実の時間の流れと同じく、映画内の時間の流れは過去から未来へ進んでいると考えるのが自然だからだ。これは、私たちが時間に束縛された生を送っている事と不可分の感覚である。

本作と同じく、物語の終わりから始まりへと時間が遡るクリストファー・ノーラン出世作メメント』において、主人公に前向性健忘症という特性が与えられているのは、映画内の時間を逆行させた場合に生ずる不自然さを観客に受け入れてもらう為の工夫である(『メメント』はこの主人公の特性を利用する人物が登場し、更に物語を錯綜させていく)。『メメント』ではキャラクター設定のレベルで処理していた問題を、イ・チャンドンは線路を疾駆する列車という、運動の軌跡によって処理している。列車は逆走し、やがて環状線の様にぐるりと一回りして現在へと再び姿を現すだろう。その時、映画の始まりと終わりで草むらに寝転んだ主人公が流す涙の、残酷なまでの意味の違いに私たちは胸を打たれる。

 

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過去に向かって遡行していく映画として見比べてみても面白いかと。