事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

アダム・マッケイ『バイス』

 

 

ロブ・ライナー監督『記者たち~衝撃と畏怖の真実』にも、ディック・チェイニーは登場している。もちろん、クリスチャン・ベイルが演じている訳ではない。チェイニー本人がニュース番組でインタビューを受けている映像が、劇中で挿入されているのである。そこでチェイニーは、イラク戦争の正当性についてまさにクリスチャン・ベイルが演じた如くボソボソと語っているのだが、その語り口はただただ平板で、テロリズムに対する憎しみや、アメリカ国民を守ろうという熱意は窺えない。存在するのは、ただ決めた事を愚直に推し進める鈍重な意思だけである。

本作では、チェイニーがなぜ権力を求めたのかが、いささか戯画化された形で描かれている。チェイニーの妻であるリンは、学業の成績も優秀で上昇志向の強い人物だった。しかし、当時のアメリカでは女性の社会進出など認められておらず、リンは自身の欲望を夫に代替させようとし、チェイニーも妻の信頼を得る為に、その身を捧げたのだ、と。その対となる人物として、第43代大統領ジョージ・W・ブッシュが登場する。彼もまた、父親に認められたい一心で、大統領を目指したのである。

だから、彼らに政治理念や思想などを求めても無駄だ。若き日のチェイニーの様にラムズフェルドに嘲笑されるのがオチである。また、イラク開戦の理由を(例えば石油開発にまつわる利権など)個人的欲望によるものと断ずる事もできない。彼らは個人的な欲望すら持ち合わせておらず、ただ他人の欲望の代替人でしかないのである。

だからといって、ブッシュやチェイニーをなめてはいけない。他人の欲望をかなえる事だけに執心してきた彼らは、他人の欲望を煽りたてる術にも長けている。9.11以降のアメリカ社会の右傾化は、まさに「恐怖」や「愛国」「正義」といった疑似餌によって、大衆が釣り上げられた結果なのだ。下手な理念や思想が無い分、彼らは矛盾や躊躇を抱える必要がない。それは決して止まる事のない機械の如く、愚直に鈍重に目的(しかし、それはいったい何なのか?)に向かって動き続ける。

 

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この鈍くさそうなおっさんのせいで、いかにアメリカの兵士が悲惨な目に遭ったのがよく分かる1本。