事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

行定勲『リバーズ・エッジ』

 

学校で壮絶なイジメにあう青年(吉沢亮)が、河川敷で死体を発見する。彼はその事を警察に届けず、それを「宝物」と呼んで、親しい友人と共有しあう。彼は、他人の死と直面する事で己の生を実感する事ができる、と友人(二階堂ふみ)に呟く。

これは、不在によって実在を確認する倒錯した行為であるし、自分はこの喪失感を携えて生きていくしかない、という覚悟の表れでもあるだろう。バブル崩壊後の90年代を生きた者にとって、この感覚は常に隣り合わせのものとしてあった筈だ。未曾有の経済不況が襲ったところで衣食住は確保されているし、命を脅かされる訳でもない。それでも、何かを失ったという喪失感だけは残り続ける。その感覚だけが青春であり生きる全てだったのだ。
だから、この物語に登場する「宝物」は、手に入れたそばから失われていく。河原の死体も、校舎裏で見つけた子猫も、お気に入りのレコードも。新たな死体を見つけたかと思えば、それはいつの間にか息を吹き返しどこかへ去ってしまうのだ。彼らは何かを失う度に傷つき、その度に生きているというリアルな感覚に触れる。「宝物」は失った「もの」ではなく、失った事そのものなのである。焼死した恋人の姿を前にした吉沢亮の笑みは、その様に理解すべきだろう。
では、エンディングで小沢健二が歌う「再生」とは、どの様な形で彼らにもたらされるのか。それは、来るはずのないUFO(そもそも、確認された時点でそれは未確認飛行物体ではなくなってしまうのだから)を待ち続ける永遠とも思える瞬間にこそ訪れる、はずだ。