事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

塚本晋也『斬、』

 

斬、 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2019/09/04
  • メディア: Blu-ray
 

タイトル通り、人を「斬る」事に執着した映画だ。といっても、通常の時代劇の様に、主人公が悪人をばったばったと斬り倒す映画ではない。何とこの作品、主人公が人を斬るのはたった1回きり、しかもその直後に映画は幕を閉じるのである。250年もの平穏な時代が終焉を迎えようとしていた江戸末期、池松壮亮演ずる浪人、杢之進は剣の修練を一心に積み相当の手練となったが、一度も人を斬った事がない。劇中のてんとう虫の喩えで言えば、彼は上へ上へと上り詰めた後、空に飛び立つ事ができずにいる。暴漢に家族を惨殺された農家の娘から、敵討ちを依頼された杢乃進は、それでも闘う事を拒否し続ける。彼は、いったい何を恐れているのだろうか。それは、自身が傷つく事でも死ぬ事でもない。一度でも人を斬った瞬間、己が今までの自分と決定的に変質してしまう事を恐れているのだ。『鉄男』以降、人間の肉体と精神が変質する事への畏れと憧憬を描き続けてきた塚本晋也監督らしいテーマと言えるだろう。その変質のきっかけを、刀で人を斬った瞬間、つまり鉄という異物が肉体に接触し、食い込んでいく刹那に求めた点も『鉄男』や『東京フィスト』と通底する。樹木から飛び上がったてんとう虫がどの様な運命を辿るのか、その道行(それは、タイトルの「斬」の後に付与された読点「、」の後に示されるのだろう)は光の射さない薄暗い森に阻まれ、私達に見通す事はできない。