事件前夜

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マシュー・ハイネマン『プライベート・ウォー』

 

プライベート・ウォー [Blu-ray]

プライベート・ウォー [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: Happinet
  • 発売日: 2020/03/03
  • メディア: Blu-ray
 

こうしている間にも世界各地で紛争は続き、罪もない人々の命が大量に失われている。宗教や政治思想、人種の違いによる人々の対立は止む事がない。アメリカや国連の影響力は既に失われ、紛争の解決にあたってきた先進諸国も手の打ちようが無くなっているばかりか、難民の受け入れ拒否など自国中心主義的な政策に転換する国も増えてきている。

人々が外の世界に対して目をつむり、自閉的な態度をとり続ける中、外部への橋渡したるジャーナリズムの役割はいよいよその重要性を増すばかりだが、例えば我が国では紛争地域に足を踏み入れ犠牲になったジャーナリスト達を冷笑し、非難の眼差しを向ける風潮が強い。SNSの普及により、様々な立場を超えて人々が繋がりあう世界を夢見ていた私たちは、今や「公共的(public)」な存在から「私的(private)」な存在へ回帰していると言えるだろう。それでは、世界中の紛争地域の最前線を取材し、危険を顧みず戦地の惨状を伝え続けた女性ジャーナリスト、メリー・コルビンの人生を描いた本作に、『プライベート・ウォー』というタイトルが付されているのはいかなる理由によるのか。

2012年に命を落とす事になったシリアに行き着くまでのジャーナリストの足取りを、スリランカイラクアフガニスタンリビアと時系列に沿って描いたこの映画は、メリー・コルビンという伝説的な存在を、彼女を飾り立てる伝説そのものから引きはがし、「個人」として描く事に焦点を置いている。『ゴーン・ガール』での怪演も記憶に新しいロザムンド・パイクが演じるメリーは、アルコールに溺れ、多数の男たちと関係を持ち、他人の意見に耳を傾けないエゴイスティックな人物として描かれている。2度の流産を経験した事がどれほどの影響を彼女に与えたかは定かではないが、メリー・コルビンという女性もまた、私たちと同じように欠落を抱えた存在である事を本作は指し示す。

映画を観ているうちに、彼女が我が身を危険にさらしながら何度も戦地に赴いた理由が分かってくる。その取材活動はもちろん「公共的」にも意義深い行為ではあるが、メリー・コルビンにとっては自身の欠けたピースを探し求める「私的」な旅路でもあったのだ。自らの行いが「私的」なものであるのを自覚していたからこそ、彼女は戦禍に苦しむ人々の声を拾い集める事ができた。人は戦争が招く悲劇に「公共的」存在として向き合っているのではない。あくまで「私的」な存在として対峙している。公共、などという実体の無いものに命を賭けよ、というのは、国家というこれもまた実体の無い存在が作り出したまやかしに過ぎない。

最後に言っておくが、メリー・コルビンといえども、ここまで無茶な取材活動を続けていれば、周囲の人々に迷惑を掛けた事は何度もある。チェチェン紛争の際には、取材先で帰国手段を失った彼女を救出する為に、アメリカ軍のヘリコプターが出動した。別段、メリーが高名なジャーナリストだったから助けた訳ではない。単に、彼女がアメリカ国籍のパスポートを所有していた、その極めて「私的」な事実がアメリカ軍を動かしたのだ。

テロリストに誘拐されたフリージャーナリストに対し、彼らは金めあてで取材しているだけだ、何かあっても自分の責任だ、と罵倒する人々は、純粋に「公共的」な動機から発せられた行為こそが美しいものだと信じ込んでいる。もちろん、こうした盲目的な態度こそが新たな争いを引き起こしている事は言うまでもない。

 

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