事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

黒沢清『ダゲレオタイプの女』

 

ダゲレオタイプの女[Blu-ray]

ダゲレオタイプの女[Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: バップ
  • 発売日: 2017/05/03
  • メディア: Blu-ray
 

黒沢清のホラー映画では、半透明の幕が重要なモチーフとして扱われる。それは、現世と異界を隔てる障壁の役割を担うが、にもかかわらず大抵は天井から吊るされたカーテンの様な、何とも頼りな気な姿で人々の前に現れ、簡単に開けられてしまったり、ひとりでに風にそよいで、向こうの世界を垣間見せたりするのだ。だからこそ、黒沢清の映画では現世と異界、生者と死者がたやすく入り混じるボーダレスな世界が常に出現するのだが、本作でその障壁の役割を果たしているのは、風に揺れるカーテンなどではなく、木の扉である。劇中、至る場面で扉が(時にはひとりでに)開く場面が挿入され、これは螺旋階段を上り下りするショットと相まって、端正な画面に奥行きをもたらし、本作のゴシックホラーとしての正統性を確保する。では、今作に限って半透明の幕が捨象されているのかというとそうでもない。劇中で度々登場する温室、この壁面を構成するガラスが薄汚れ、はっきりと向こう側が見通せない事に注目すべきだろう。こうして、温室は半透明の幕に覆われた空間となり、映画のクライマックスでは恐怖の舞台となるからである。しかし、果たして温室の外が異界なのか、それとも内側が異界なのか、判然として決め難い。もちろん、それは本作のモチーフとなっている写真でも同じ事だ。撮影者が被写体を捉えようとカメラをのぞき込む。その時、世界の真実とは撮影者と被写体、いったいどちらの側にあるのか。映画館のスクリーンの前で、私たちは他者を見ているのか、あるいは他者から見られているのか、しばし逡巡する。