事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

クリント・イーストウッド『ハドソン川の奇跡』

 

 

いつだって、クリント・イーストウッドは全てが終わった地点から映画を語り始める。『ミリオンダラー・ベイビー』にせよ、『チェンジリング』にせよ、凡百の映画ならクライマックスに配置するべき感動的な場面が、イーストウッドの映画では新たな物語の起点となるのだ。

フラッシュバックを多用した本作の構成は、その特異な資質を分かりやすく示しているだろう。では、機長の勇気ある判断と長年の経験によって乗客全員の命が救われた、という分かりやすい物語が終わった後に、新たに立ち上がるものとは何なのか。それは、ある瞬間に人が選び取った判断は常に1回限りのものであり、再び辿り直す事などできない、という事実なのだ。事故調査委員会は、事故が機長の判断ミスであった事を証明する為に、何度もミュレーションを繰り返す。しかし、トム・ハンクス演ずる機長が糺すのは、まさにその念には念を入れた繰り返しこそが、真実から人々を遠ざけ誤った認識へと導く元凶となっている事なのである。

これは、フラッシュバックによって同じ場面が何度も繰り返されるこの映画そのものを暗示しているとも言えるだろう。結局、私達はトム・ハンクスがどの様な判断でハドソン川着水を決断し成功させたのか、全てを理解する事はできない。それは、彼の人生の歩みだけが導き出した答えであり、私達が他人の人生を辿る事など永遠に不可能なのだから。