事件前夜

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黒沢清『スパイの妻』

黒沢清監督の新作『スパイの妻』は、もともとNHK BS8K用のドラマとして製作されたそうだが、私は最近やっと4Kテレビを購入し、その画質に驚いているぐらいなので当然観る事ができない。そこで映画版の公開を楽しみにしていたところ、本作がヴェネツィア国際映画祭で見事に銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞したという嬉しいニュースが飛び込んできた。そのおかげだろうか、私が観に行った映画館は満席の状態だった。まず、黒沢清の映画にこれだけの客が集まる、というのが喜ばしい。蒼井優高橋一生といった人気俳優が出演している事が影響しているのかもしれないが、この主演2人の演技も非常に素晴らしく…既に黒沢作品ではおなじみとなった東出昌大の不穏な存在感も含めて、本作の端々で黒沢監督の俳優陣への信頼が如実に感じられた。劇中で山中貞夫や溝口健二の名前が登場する事からも分かる通り、『スパイの妻』では太平洋戦争下の日本を舞台にした歴史劇である、というだけでなく、その当時に撮られ、公開されていた日本映画のテイストを忠実に再現しようと試みられている。濱口竜介と野原位という『ハッピーアワー』コンビによる脚本にその意図は明確だが、それに十二分に応えた(特に蒼井優!)俳優陣の映画的教養の高さには驚かざるを得ない。
本作はBS用ドラマとして企画された事もあってか、予算が少なくCGも使えない、新しいセットも組めない、という環境の下で製作されたらしい。映画の中盤に登場する、戦時中の東京の街を横移動の撮影で捉えた場面―高橋一生演じる優作と、蒼井優演じる聡子の姿を中心に据えながら、フレーム内を多くの群衆に出入りさせる事で、どこかに日本軍の憲兵が隠れ潜んでいるのではないかという恐怖心を掻き立てる、非常にサスペンスフルなシーンだが―で使用されている街並みのセットは、何とNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の為に建てられた物を拝借したそうだ。この辺りはさすがNHKという感じだが、厳しい予算的制約で撮られたとは思えない本作のゴージャス感は、黒沢清が得意とする独特の空間設計に拠っている面も多い。例えば、東出昌大演ずる憲兵隊長の泰治が、スパイの嫌疑を掛けられた優作と聡子を尋問する場所を思い出してみよう。
そこは、階段の中途にある踊り場を拡張した様な空間で、尋問用の机や椅子が幾つか据えられている。正直な話、容疑者の取り調べをこんな開放的な所で行うのはおかしいと思うのだが、階段と階段の間に位置し、多くの人が行き来するこの空間だからこそ、観客はスクリーンに映された以上の広がりを想像できるのである。こうした階段、扉、といった、「ここ」ではない「どこか」へと人々を導く装置を巧みに配置する事で、黒沢清は映画に豊かな奥行きを与えてきた。特にホラー作品で頻繁に登場する、空間と空間を区切る半透明の幕などもそのひとつだろう。こうした工夫は本作でも為されており、低予算映画からキャリアをスタートさせた黒沢清の本領発揮と言える。例えば、大予算を投入したハリウッド超大作が、なぜか異常に安っぽく見える、という経験は誰しも覚えがあるだろう。それはCGや派手な爆発シーンによって画面を埋め尽くし、観客の注目を画面に集中させる事で、逆に画面の外についての想像力を奪ってしまっているからだ。結果、映画は救いがたい程に退屈な平板さに堕していく。『スパイの妻』は、昨今の映画が抱えるこうした貧しさとは無縁の作品である。
「ここ」ではない「どこか」へと人々を導く装置。前段で私はそう書いたが、それは要するに「内部」と「外部」という事である。黒沢映画に登場する扉は、ある場所から場所への移動を禁ずる遮蔽物として人々の前に立ち塞がるのではない。それはむしろ、「外部」の存在を知らしめ、人々をそこへ誘う為に存在する。例えば、優作の営む貿易会社には、不穏な空気に満ちた怪しげな倉庫があり、夫の行動を不審に思った聡子がその倉庫へ忍び込むに至って、映画はスパイ映画的な緊張感を帯び始めるのだが、一見すると何の変哲もないオフィスの下に広がる異様な空間が、たった1枚の扉を介して易々と繋がってしまう事に注目したい。この倉庫には金庫が設置され、優作はそこにある国家機密を秘匿しているのだが、聡子はその金庫の扉をいとも簡単に開き、証拠品のノートとフィルムを入手する。よく考えると、夫の会社に設置された金庫の暗証番号を妻が知っている、というのも少々奇妙な話だが、黒沢映画では扉というのは常に開かれる為に存在するのだ。
倉庫から持ち帰ったフィルムの内容を知る事で、その後の聡子の人生は一変し、もはや後戻りのできない世界へと歩み始めていく。本作において、人々を「外部」へと導く最大の装置が、そのフィルムを映し出す映写幕である事は言うまでもない。本作では、優作が忘年会の余興として撮影した、聡子を女スパイ役に据えた劇映画と、前述の国家機密にまつわる映像を収めた2本のフィルムが登場し、いずれも劇中で映写される事になる。映画内映画が2本挿入される事で、映画にメタフィクショナルな奥行きをもたらしている訳だが、それはとりあえず措いておこう。重要なのは、このフィルムと映写幕をめぐって、「外部」と通じ合う者、「外部」へ旅立とうとしながら、結局は「内部」に留まらざるを得なかった者、「内部」以外の場所を否定し、自閉する事を選んだ者、それぞれの立場を選んだ、いや選ばざるを得なかった男女のメロドラマが展開していく事である。
コロニアリズムが崩壊するきっかけとなった太平洋戦争を背景とする歴史劇において、この帰結は当然とも言える。植民地主義とは「どこか=外部」を侵略し「ここ=内部」を無制限に拡張していく政策に他ならないからだ。「コスモポリタン」を自称し、日本軍の蛮行を白日の下に晒そうとアメリカへ亡命した優作は、「どこか」と通じる精神の持ち主であり、であるが故にフラットな立場から己の正義を貫徹しようとするのだが、しかし、彼の信じる正義によって夥しい数の同胞が死に、故郷が廃墟へと変貌した事は本作のラストで描かれるとおりである。その独善的とも言える態度が、冷戦体制下のアメリカを想起させもするだろう。一方、聡子は優作に対する愛情(夫婦とはいえ、聡子が優作に抱く奇妙な執着は濱口竜介監督作『寝ても覚めても』を想起させる)ゆえ、祖国を裏切り、夫と手を取り合ってアメリカへ亡命しようとするのだが、優作の奸計によって日本に留まらざるを得なくなる。彼女が密航する為に忍び込んだ木箱が、あっさりと憲兵に発見され、蓋を開けられてしまう場面を見れば分かる通り、彼女は「どこか」へ逃げ出す事も、「ここ」に自閉する事もかなわず、ただ「外部」と「内部」の連絡役を担わされるだけの存在に過ぎない。それは、戦後日本の痛々しい似姿として私たちの目に映るだろう。ならば、あくまで「ここ」に留まり続け「どこか」を拒否し続ける憲兵隊長の泰治の姿は、何を写しているのか。冷戦体制下でアメリカと暗闘を続けたソ連であろうか。自国第一主義を掲げ、自閉の道を辿り続ける現在のアメリカだろうか。
と、その様な事を作り手が意識していたかどうかは分からないが、本作があらゆる面で知的好奇心を刺激する一作である事は間違いない。黒沢清による初の歴史劇は、スパイ映画的な愉悦を湛えながら、現在にも射程を伸ばすテーマを重層的に織り込んだ必見の大作である。

 

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河内山宗俊

河内山宗俊

  • メディア: Prime Video
 

夭折の天才、山中貞雄のフィルムが現存する作品のひとつ。『スパイの妻』の中では主人公夫婦が映画館でこの作品を鑑賞する。Amazon Primeで観る事ができるが、画質も悪く台詞も聞き取りずらい。最近、4Kデジタル修復版が公開された。