事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

クリス・バック他『アナと雪の女王2』

 

前作について、ジェンダーをめぐる現在の問題意識に則り、古典的なプリンセス・ストーリーをアップデートさせた、という様な評価(と、それに対する反発)をよく耳にした。なるほど、王子様のキスで目覚める、という王道の展開を最後に回避する『アナと雪の女王』は、現在の、あるいはこれからの女性の生き方を指し示した作品である、という捉え方ができるだろう。
しかしまあ、そういう評価がこの映画の全てじゃないのでね。ディズニーの製作陣が今どき王子様のキスで目覚める、って展開はちょっとなあ、と考えた事は間違いないだろうが、だからといって『アナと雪の女王』を社会学的側面だけで理解するのはあまりにも不自由な態度ではある。そもそも、その様な観点だけで見るなら、じゃあ、全ての束縛を解き放ち、氷の城で一人で暮らす事を決意したエルザが、ラストで街に戻るのは思想的後退じゃないか、とか、そもそもエルザとアナが選び取る家族の愛だって、人々を新たな抑圧へと導くモラルに転換してしまうんじゃないか、とか色々と言いたい事が出てくる訳だ。
当たり前の話だが、『アナと雪の女王』が多くの人々を魅了したのは、圧倒的な映像美と見事な楽曲こそが一番の要因だった、と思う。当然ながら、今回の続編でもその魅力は踏襲、いや前作以上のものとなって、私たちを美しいファンタジーの世界へ誘ってくれる。前作では全く描かれる事のなかった、エルザが不思議な能力を持った理由が本作で明かされる事になるが、より自己探求性を増したストーリーは、あくまで貴種流離譚としての構造を保持していた前作に比べ、ドラマとしての推進力に欠けている様に思う。しかし、氷や雪だけでなく、風や火、水といった自然的要素を再現したその映像は、実写と見紛うばかりの質感を伴って観客に迫ってくる(まあ、その辺の表現がやりたくて、4つの精霊という飲み込みづらい設定を取り入れたのだろうが…)。登場人物たちの内的独白を歌に乗せた楽曲はよりバラエティ豊かに用意され、音楽とリンクした映像演出はミュージック・ビデオとしても超一流の出来栄えだ。楽曲に説得力があるから、プロットがいささか説明不足でも、観客はストーリーに身を委ねる事ができる。今回、私は2D吹替版で鑑賞したが、これが4DX版だったら何十倍もの興奮を味わう事ができただろう。
もちろん、民族問題やエコロジーなど、本作は相変わらず多様なテーマへと議論を誘う作りになってはいる。私が先に挙げた前作についての疑問にもきっちりと応え、家族として、一人の人間として生きるとはどういう事なのか、という点について掘り下げられているのも流石としか言いようがない。とにもかくにもストーリー、ビジュアル、サウンド、どの側面からも、その隙の無い作り込みに、ディズニーの底力をいやというほど思い知らされた。

 

あわせて観るならこの作品

 

言わずと知れた大ヒット作。松たか子の圧倒的な表現力を堪能できる吹替版の方が私は好きです。続編で少し大人っぽくなったエルザが、高級クラブのチーママみたいに見えたのは私だけだろうか。

何か面白そうな映画ある?(2019年12月前半)

あるよ。という訳で、12月に注目作をご紹介。『スターウォーズ』の新作とのバッティングを避けたのか、ハリウッド製の大作映画が今月は少なく、比較的地味なラインナップ。

 

ニック・ハム『ジョン・デロリアン

バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作で使用され、世界的に有名になった車、デロリアンの開発者であるジョン・デロリアンの半生を描いた作品。私はデロリアンが実在する車だとは知らなかったので、本作を最初バック・トゥ・ザ・フューチャーのスピンオフか何かと思っていた。

 

周防正行『カツベン!』

Shall we ダンス?』『舞子はレディ』の周防正行監督の新作は、サイレント映画全盛の日本を舞台に、活弁士を目指す青年の姿描いた青春コメディ。さすがシネフィルの周防正行監督らしい題材だが、予告編を見る限り竹中直人がまたいつも通りのおどけた演技を披露していて、こういうノリは今の時代でもウケるのだろうか。

 

ジャファル・パナヒ『ある女優の不在』

イラン社会を作中で批判した事で政府と対立、2度も逮捕され、映画製作の禁止を命ぜられながら、次々とアクチュアルな新作を作り続けているイランの巨匠、ジャファル・パナヒの新作は、過去/現在/未来、3つの時代を体現する3人の女優の心の旅路を描いたヒューマンドラマ。前作『人生タクシー』も気になっていたのに見逃したので、これはぜひ観たい。

 

ケン・ローチ『家族を想う時』

イギリスの巨匠ケン・ローチの新作は、現代が抱える労働問題をテーマにした家族映画。過酷な労働環境に苦しむ宅配ドライバー、という設定は我が国でも他人事ではない。ケン・ローチって『ケス』ぐらいしか観てないのだが、これは気になる。

 

と、まあこんなところか。何だかんだいって、観たい映画は結構あるな。これに11月公開でまだ未見の作品を足していくと、やっぱり時間が足りない。何で日本の年末には忘年会なんてクソくだらないものがあるんだ?桜を見る会なんて幾らでもやっていいから、法律で忘年会を禁止してくれよ。

マイク・フラナガン『ドクター・スリープ』

 

『シャイニング』という恐ろしい物語を、私たちは少なくともふたつ知っている。
ひとつはモダン・ホラーの巨匠、スティーヴン・キングが古典的なゴースト・ストーリーを現代に蘇らせた小説として。もうひとつは、天才監督スタンリー・キューブリックがキングの原作を基に独自の解釈を施したホラー映画として。このふたつの物語は、どちらも素晴らしい出来であるにもかかわらず、その内容があまりにも異なっていた事、キングが内容の改変に激怒し酷評した事から、不幸な分裂状態が続いていた。キングが36年もの時を経て、『ドクター・スリープ』という続編を執筆したのも、『シャイニング』という物語をキューブリック映画の原作、という位置から小説の側へ奪還しようとする試みだったに違いない。
小説ではキューブリック版『シャイング』の内容を完全に無視している。これはキングの立場からすれば当然の事だろう。しかし、映画となるとそうはいかない。何しろ、相手はホラー映画史に燦然と輝く傑作なのだ。当然、観客も映画版『シャイニング』の続編を期待している。映画版『シャイニング』を完全に無視した小説版『ドクター・スリープ』を原作としながら、映画版『シャイニング』を観た人々に向けてその続きを物語る―映画版『ドクター・スリープ』はこの矛盾した課題をクリアしなければならないのだ。
監督マイク・フラナガンはこの不可能とも思える試みに果敢に挑み、見事に成功している。本作には、キューブリックが私たちに植え付けた鮮烈なイメージ―ホテルに向かって疾走する車を俯瞰で捉えたショット、三輪車に乗ってホテルの廊下を進むダニーをステディカムで追うシーン、バスルームのシャワーカーテンの陰から現れる腐乱した女、ホテルの廊下に溢れ出す大量の血、不気味な笑みを見せて佇む双子の姉妹、ドアに穿たれた穴から中を覗き込む顔―を、あからさまに引用する。いくら続編とはいえ、他人の撮った映画のシーンをここまでコピーした作品というのは前代未聞ではないだろうか。
もちろん、これらは単なるファンサービスというレベルに留まっていない。本作が素晴らしいのは、こうしたキューブリックへのオマージュが、映画版『ドクター・スリープ』の物語を構成する、重要なピースとなっている事である。特にダニーがローズ・ザ・ハット(レベッカ・ファーガソン最高!)と対決するクライマックシーンは、その馬鹿々々しさも相まって、本作一番の見どころと言えるだろう。ネタバレになるので詳しくは言えないが、私は何かポケモンみたいだな、と思った。本作は、ダニーが『シャイニング』で受けた心の傷と戦い、乗り越え、やがて征服するまでを描いた、癒しの物語なのである。
40年という長い歳月を経て、キング版『シャイニング』とキューブリック版『シャイニング』は、幸福な結合を成し遂げた。その媒酌人を見事に務め上げた、才人マイク・フラナガンに最大級の賛辞を贈りたい。

 

あわせて観るならこの作品

 

シャイニング [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2010/04/21
  • メディア: Blu-ray
 

スタンリー・キューブリックによるホラー映画の金字塔。必ず、この作品を観てから本作に臨む事!

 

『シャイニング』の完コピといえば、こちらが先。見比べてみるのも一興かと。以前に感想も書きました。

リック・ローマン・ウォー『エンド・オブ・ステイツ』

 

ジェラルド・バトラーの当たり役、マイク・バニングシリーズもはや3作目。一応、これで一区切りという事らしい。
このシリーズのプロットは基本的にどれも同じだ。まず映画の冒頭でテロリストがあっけなくテロを成功させる。第1作目ではホワイトハウスが占拠され、第2作目ではロンドンで同時多発テロが発生し、各国の首脳が皆殺しにされた。被害の規模は9.11どころの騒ぎではない。それが映画開始から30分ぐらいで成し遂げられてしまう。この映画の中の先進国のセキュリティはそこらへんのコンビニより甘いのである。
主人公マイク・バニングは合衆国大統領専任のシークレット・サービスだが、非常に有能な男である。どれぐらいかといえば、たった1人でテロリストのアジトに乗り込み組織を壊滅させてしまうぐらいに有能だ。冒頭で易々と大規模テロを成功させたテロリスト達が、この男の手に掛かると虫けらか何かの様にバッタバッタと死んでいく。ランボーコマンドージョン・ウィックロボコップなど、映画には様々なアクションヒーローが存在するが、私は彼こそが最強だと確信している。
第1作目は過去の失敗から立ち直れず、第一線から退いていたマイク・バニングが偶然テロに巻き込まれ、テロリストとの戦いの中で過去の自分を取り戻していく、というドラマが一応あるにはあった。しかし、バニングがシークレット・サービスに復帰した第2作目では、そうした内面的な葛藤は失われ、世界の危機を正義の執行者たるアメリカが救う、というあまりにも古臭い物語に帰着してしまう。映画の冒頭では、アメリカ軍の仕掛けた空爆によって、国際テロ組織のボスの娘が命を落とした事が悲劇の発端だという事が示されているのにもかかわらず、である。そのあまりにも能天気かつ太平楽な結論にはまだこんな事をやっているのか、と思わず鼻白んだが、これは第2作目がとにかく主人公の強さ、ヒーロー性をより際立たせる事に特化した為の弊害である。もともと、テロリストに奪われたホワイトハウスを奪還する、という意味でバニングアメリカの強さ、逞しさを体現するキャラクターであった。彼がアメリカ国内でワチャワチャやってる分には勝手にしろ、という話だが、国外に舞台を移して世界的な使命を帯びてしまうと、途端にその独善性が鼻についてくる。そもそも、お前らが勝手に決めた価値観で全部押し通そうとするからこんな事になったんだろ!という疑問が拭えない。
第2作目の反省からか、今作はもう1度アメリカ国内に舞台を限定し、マイク・バニングが大統領暗殺未遂の容疑者として国家に追われる、というひとひねりした設定になっている。『逃亡者』とか『エネミー・オブ・アメリカ』の様な、巻き込まれ型サスペンスに回帰している訳だ。しかし、そうした冤罪サスペンスというのは国家対個人の戦いであり、圧倒的な力の差をその場の機転や同志達の協力などで乗り越えていく、という点が見どころなのに対し、マイク・バニングは地球上最強の男なので力づくで解決していく。赤子の手を捻る様に殺されていくテロリスト達を見ていると、どちらかといえば『ランボー』1作目のテイストに近いのではないか、と思った。
本作の『ランボー』っぽさを補強するのが、ニック・ノルティ演ずるマイク・バニングの父親、クレイ・ バニングである。ベトナム戦争時代は特殊部隊にでも所属していたのだろうか、この男は自らが隠遁生活を送る山のそこかしこにとんでもない量の爆薬を仕掛け、父親のもとに身を寄せたマイク・バニングを追って山に足を踏み入れた敵を次々と爆殺していく。どう考えても違法行為、親子揃ってどちらがテロリストなのか分からなくなってくるが、このシーンの滅茶苦茶さは本作一番の見どころだろう。

 

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【Amazon.co.jp限定】エンド・オブ・ホワイトハウス スペシャル・プライス(ポストカード付) [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
  • 発売日: 2016/04/18
  • メディア: Blu-ray
 

シリーズ第1作目では下院議長だったモーガン・フリーマンも第3作目では遂に合衆国大統領に。出世したな、おい。

 

ランボー 4K レストア版 [Blu-ray]

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町にひょっこりやって来た薄汚い男を保安官達がいびってたら、実はそいつがベトナム特殊部隊出身だった為に皆殺しになってしまう怖いお話。特殊部隊に所属していた奴は全員超人、っていうイメージはこの映画から始まったんじゃないの?マイク・バニングもご多分に漏れず。

ルーベン・フライシャー『ゾンビランド:ダブルタップ』

 

本作を鑑賞するにあたり、予習がてら前作のDVDをレンタルしたのだが…死ぬほどつまらないのでびっくりした。10年ぶりに続編が作られるぐらいだから、前作はそれなりの評価を得て、ヒットもしたのだろうが…とにかくテンポが悪くて、ギャグも上滑り気味だし、何というか、面白くない奴が面白くもない冗談を言って、それを皆が大笑いしているのを眺めている様な、苦々しい気持ちになってしまった。この感覚、以前も味わった記憶があるな…と考えてみると、劇中で大々的にフィーチャーされている『ゴーストバスターズ』第1作目の時以来である。観ている間ずっと、何かに似ているな、と思っていたのだが、要するにこの映画は私の嫌いな、アイヴァン・ライトマンの作品にそっくりなのだ。
アイヴァン・ライトマン作品の何が嫌かって、とにかく全体に漂う、毒にも薬にもならない生温さが我慢ならない。なるほど、『ゾンビランド』は、確かに血がドバドバ、内臓グチャグチャのゴアシーンが盛りだくさんかもしれない。しかし、問題はこうしたジャンルムービーに対する作り手のなめきった態度が、作品から透けて見える事なのだ。ただ表面上の過激さを装う為に先人達が築いた遺産を利用してんじゃねえよ。そういう意味ではアイヴァン・ライトマン監督『エボリューション』の不愉快さに通ずるものがある。
とはいえ、せっかくレンタルまでして予習したんだから、一応観に行くか…と、全く期待せずに映画館へ出かけたのだが、あにはからんや、今回の続編はなかなか面白かった。監督のルーベン・フライシャーも『ヴェノム』の様なビッグ・バジェットの監督経験を得て成長したのだろうか、テンポも良くなり、映画としての面白みがグッと増している。特に、主人公の男2人が自分と瓜二つのゾンビにモーテルで追い掛け回されるシーンをワンカットで追う場面など、なかなか良く出来ていた。
ギャグ面では何といってもゾーイ・ドウィッチ演じる新キャラクター、マディソンの存在が大きい。この狂気すら感じるおバカキャラクターがボケ役の大半を担ってくれているので、ストーリー展開がスムーズになった。前作は、そもそも主人公たちに大した目的が無い上、お寒いギャグで話の流れを止めてしまうので本当にイライラしたが…
前作の32のルールもそうだったが、冒頭で紹介されるゾンビの分類がほとんどストーリー上で活かされていなかったり、相変わらず大味な脚本ではあるのだが、最後のオマケも含めてファンサービスたっぷりのお気楽エンターテインメントに仕上がっている。頭を空っぽにしてご覧頂きたい。

 

あわせて観るならこの作品

 

ゾンビランド [Blu-ray]

ゾンビランド [Blu-ray]

 

10年ぶりの続編とはいえ、お話し的にはそのまま繋がっているので、やはり前作を観てから臨んだ方がいい。出来はあまり保証しませんが…

チェ・グクヒ『国家が破産する日』

 

国家が破産する日 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 株式会社ツイン
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: DVD
 

この映画で扱われている1997年のアジア通貨危機とはいったいどの様なものだったのか。もちろん、映画の中でもある程度は説明されているが、まずはその概要を韓国の立場に立って簡単にまとめておこう。
1988年のソウルオリンピック以降、未曽有の経済成長を遂げていた韓国は1996年、念願のOECD(経済開発協力機構)への加盟を果たす。人々は好景気が続く事を信じて疑わなかったが、その裏では同族や家族で構成された一部の財閥による独占的な市場支配など、旧態依然とした経済構造が徐々に綻びを見せ始めていた。
長らく経常収支の赤字が続いていたアメリカが、1995年から経済対策としてドル高誘導へと舵を切った事で、ドルに対し為替レートを固定して自国の通貨価値を守ってきたほとんどのアジア諸国は輸出が伸び悩む様になってくる。韓国も例外ではなく、中央銀行保有する外貨準備金は目減りする一方であった。
ここに目をつけたのが、欧米のヘッジファンドである。彼らは、通貨レートが実態経済と乖離している事に気づき、過大評価を受けている通貨を空売りして値を下げ、安くなった時点で買い戻す事で利益を得ようと画策したのだ。その結果、韓国は対ドル固定相場制を維持できなくなり、ウォンの価値は急激に下落していく。
海外投資家からも投資を引き上げられ、大手企業の倒産が相次ぐ様になり、街に失業者が溢れ、金融機関は多額の不良債権を抱えて破綻に追い込まれる。この時、韓国の抱えていた対外債務は300億ドル超。まさに、デフォルト寸前の状態であった。
デフォルト回避の為に奔走する通貨政策チーム長ハン・シヒョン、この危機を利用して莫大な富を得ようとする投資家ユン・ジョンハク、突然の経済不況に巻き込まれ、破産寸前に追い込まれる食器工場経営者ガプス。本作は立場の異なる3人の主人公を用意し、それぞれの視点からサスペンスフルに物語を進めていく。この構成によって、当時の韓国が抱えていた問題を、より多角的に捉える事ができると製作陣は考えたのだろう。そして、その試みは見事に成功している。
大統領をはじめとする政治家たちは混乱を恐れて国民から真実を隠し、右往左往徒して徒に時間を空費するばかりだ。一部の官僚は事態の深刻さに気付いているが、本質的な解決策を模索する気はさらさら無く、逆にこの混乱に乗じて自らが望むような国に作り変えようと画策してる。大衆はそれまで、政府が喧伝する右肩上がりの成長を盲目的に信じ込んでいたが、一旦その信頼が揺らぎ始めると一斉にパニックを起こす。財閥の経営陣は、それまでの放漫経営がこの危機を引き起こした事にすら無自覚のままである。その中で、目ざといハゲタカファンドは金融テロとも言える暴力的な投資によって、暴利を貪っている。
要するに、1997年の金融危機は事前に予測する事も可能だった筈だ、と映画製作陣は主張したいのである。この事態を予測できなかった者が慌てふためき、崩壊していく社会の有り様を指をくわえて見守るしかできなかったのに対し、予測できた者はさっさと逃げ出し、自分だけが助かる為に手を打っていたのだから。実際、この金融危機によって多くの韓国国民が路頭に迷い、自殺者も増大したが、傷ひとつ負わずにむしろ得をした者も少なからず存在したのである。それまでの国民全員が経済成長の為に尽力し、等しくその恩恵を受ける、という幻想が崩れ去り、おそらくはここから韓国社会の分断は始まったのである。
結局、韓国はIMF国際通貨基金)に救済を申請し、580億ドルの金融支援を受けてデフォルトを免れる事になる。IMFが資金援助の前提として提示した条件は、不採算金融機関の業務停止、外国人投資家に対する規制緩和、労働規制の緩和による企業優遇措置など。要するに、ネオリベ的政策で国際競争力を増大させ、金融市場の自由化によって外資をもっと呼び込め、という訳である。通貨政策チーム長ハン・シヒョンは、こうした条件は行き過ぎた介入であり、国内経済を疲弊させ、多くの労働者を苦境に追い込む結果にしかならない、と強硬に反対するが、時の権力によって交渉の場から外されてしまう。このIMFとの覚書が韓国経済に及ぼした影響は大きく、その後の韓国では失業者や自殺者が飛躍的に増大したという。
さて、韓国がIMFから無理やり押し付けられたこれらの政策を、現在、日本の政治家や官僚たちはなぜか自らの手で推し進めている。半数近くの国民がその政権を支持し、景気が徐々に回復していると信じ込まされているが、果たしてこのままでいいのだろうか。もしかすると、我が国の高官たちはやがて来る破産の日を見越して、自分たちだけさっさと逃げ出す準備を進めているのではないか。映画『国家が破産する日』は「私は、2度は負けない」というハン・シヒョンの言葉で終わる。しかし、真に恐ろしいのは、負けている事にすら気づかない、という事態なのだ。

 

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マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版)

マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版)

  • 発売日: 2016/06/22
  • メディア: Prime Video
 

2000年代のリーマンショックを描いたこの作品でも、金融危機の兆候をいち早く掴んだ投資家たちが空売りによって莫大な利益を得る様を描いている。ただ、この作品ではそうした行為を無尽蔵に膨張し続ける金融資本主義への抵抗として捉えている様だ。 

ギャスパー・ノエ『CLIMAX クライマックス』

 

CLIMAX クライマックス Blu-ray 通常版

CLIMAX クライマックス Blu-ray 通常版

  • 出版社/メーカー: Happinet
  • 発売日: 2020/06/03
  • メディア: Blu-ray
 

本作のサントラを見るとAphex TwinやDaft Pank、懐かしいところではGiorgio MoroderやGary Numan、Soft Cellなんて名前が並んでいる。本作の舞台は1996年なので、楽曲については、その当時流行していたフレンチ・ハウスが採用されている様だが、それ以外にギャスパー・ノエ自身が好きな曲も混じっているのだろう。
音楽だけに限った話ではない。映画の冒頭、ダンサー達のインタビュー映像が流れるTVの横には、様々な本やDVDが積み重ねられているが、これは全て監督自身の私物らしい。これまで問題作を発表し続けてきたギャスパー・ノエは、どの様な作品から影響を受けたのか。非常に興味をそそられるものの、横文字に弱い私には具体的にどんな作品が並べてあるのか、画面を観ただけでは判別するのが難しい。困ったなあ、と思っていたら、ありがたい事にとあるブログでそのほとんどをリストアップしてくれていた。そこから本作にインスピレーションを与えたと思われる作品をピックアップしてみよう。書籍では『善悪の彼岸ニーチェ)』『日常生活における精神病理(フロイト)』『眼球譚バタイユ)』『変身(カフカ)』といったあたり。DVDでは『ポゼッション(アンジェイ・ズラウスキー)』『ソドムの市(ピエル・パオロ・パゾリーニ))』『アンダルシアの犬(ルイス・ブニュエル)』『サスペリアダリオ・アルジェント)』『ゾンビ(ジョージ・A・ロメロ)』などである。
このラインナップから本作の概要をまとめてみれば、閉鎖空間を舞台にしたサバイバル・ホラーのフォーマットに、ダンスや薬物を媒介とした自我の消失、禁忌からの解放、暴力や性に対する潜在的欲望の発露を、ある面では病理として、ある面では超越性への足掛かりとして捉える、といったテーマを盛り込んでいるのだろう…何だか身も蓋もない話になってしまったが、こうした他愛もないと言えば他愛もないテーマを、露悪的で装飾過多な演出でデコレートし、フリーキーな夢幻的世界を作り上げる事こそが、ギャスパー・ノエにとっての映画表現なのである。その稚気溢れる語り口は、彼が敬愛してやまないルイス・ブニュエルに近いのかもしれない。正直、カメラを動かし過ぎて何が何だかよくわかんねえよ、というシーンもあるにはあったが、とにかく唯一無二の体験が味わえる97分間ではあった。

 

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サスペリア [Blu-ray]

サスペリア [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: ギャガ
  • 発売日: 2019/07/02
  • メディア: Blu-ray
 

劇中に登場したのはオリジナル版のDVDだが、赤いライトに染め上げられたクライマックスシーンなど、今作はルカ・グァダニーノによるリメイク版にも雰囲気が似ている。以前に感想も書いています。

 

皆殺しの天使 HDマスター [DVD]

皆殺しの天使 HDマスター [DVD]

  • 出版社/メーカー: IVC,Ltd.(VC)(D)
  • 発売日: 2015/08/31
  • メディア: DVD
 

ギャスパー・ノエの敬愛するルイス・ブニュエルの、メキシコ時代の傑作。不可解な理由によってパーティから帰れなくなった人々のユーモラスな姿を通じて、荒々しい暴力の生まれる瞬間を描く。不穏なラストシーンが印象的。