事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

クレイグ・ガレスピー『クルエラ』

髪の毛を黒と白に染め分けたクルエラはモードの破壊者なのか

『ヴェノム』やら『スーサイド・スクワッド』やら、巷ではアメコミ原作のヴィラン映画が大流行だが、ディズニー・ピクチャーズもこの手のヴィランものには乗り気の様である。ここ最近のディズニー・クラシックの実写リメイクの流れにも乗り、アンジェリーナ・ジョリーが魔女を演じた『眠れる森の美女』の実写リメイク『マレフィセント』に続き、今度はエマ・ストーンを主演に迎えて『101匹わんちゃん』の敵役クルエラ・ド・ヴィルの若かりし頃を描いた映画が公開される事になった。もちろん、『101匹わんちゃん』の実写リメイクは本作が初めてではない。1997年には『101』という作品が、2001年にはその続編『102』が作られており、クルエラをグレン・クローズが演じている。著名なファッションデザイナーであるクルエラは、非常にお洒落な人物として描かれていて、本作でも実に47種類もの衣装が登場するそうだが、『101』でもシーン毎に異なる衣装を用意し、二度と同じ服は登場しないという凝りようだった。
アニメ版であろうと実写版であろうと彼女の目的は同じで、ダルメシアンの毛皮のコートを作る為に、旧友のアニタが飼う15匹のダルメシアンを誘拐しようとする。もちろん、ディズニーの作品だから子供から大人まで楽しめるファミリームービーに仕上げているが、これはなかなかイカれた設定だ。サスティナブルを標榜する現在のファッション業界ではもちろんの事、毛皮の使用が一部の動物愛護団体の主張に過ぎなかった時代でも、ダルメシアンの皮を剥いでコートを作る、というのは相当ヤバい行為だろう。自分だけ誕生会に呼ばれなかった腹いせに王女を永遠に眠らせるのとは違って、何か生々しい怖さがある。だから、クルエラはディズニー・ヴィランの中でも特に残忍なイメージが付与されていた。
ただ、本作『クルエラ』ではその様なイメージはほぼ漂白されていて、不幸な境遇で育った少女が、悪事に手を染めつつもやがて一人の女性として自立、成長する、といった―いかにも昨今のディズニーらしい―物語が展開していく。結局のところ、この手のヴィラン映画は「泥棒にも三分の理」というか、こんな悪党にもそれなりの事情があるんですよ、みたいな弁明に落ち着いてしまうものだが、本作もその範疇を出ていない。『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』のクレイグ・ガレスピーを監督に起用して、古典的名作に新しい風を吹き込もうとする試みは理解できるが、いかんせん穏当過ぎる脚本が足を引っ張り、今ひとつ抜けの悪い映画に仕上がってしまった。ここは割り切って、血みどろのエマ・ワトソンが犬を殺しまくる映画にした方が良かったのではないか。まあ、そんな映画は誰も望んでないだろうが…
とはいえ、本作にも見るべきところはある。ファッション・デザイナーとして修業中の身であるクルエラと、その師匠であり母の敵でもあるバロネスの対決を通じて、1950年代から70年代のイギリスにおけるファッション変遷史を俯瞰しようという試みだ。バロネスのイメージソースはおそらく、クリスチャン・ディオールバレンシアガなど1950年代に活躍したオートクチュールのデザイナー群だろう。時代が1960年代に移るとプレタポルテ(既製服)が登場し、例えばイヴ・サンローランの様なデザイナーが台頭し始める。貴族や一部の富裕層のものだったファッションは既製服の登場によって一般的なものとなり、上述のデザイナーの立ち上げたブランドがビッグ・メゾンへと成長していく。バロネスの経営するメゾンはまさにその雰囲気を漂わせている。
ところで、こうしたハイ・ブランドがユースカルチャーを積極的に取り入れつつ、若者たちを客層として取り込もうとするのは現在も続く流れだが、1970年代には既存の権威や体制に縛られる事を嫌った若者たちによるヒッピーカルチャーが隆盛を極め、その余波を受けてファッション業界はより大きな変革の時代を迎える事になった。衣食住の全てを自分たちで作ろういうDIYムーブメントが盛り上がる中、若者たちはデザイナーやメゾンの提案するお仕着せの衣服を嫌い、それらをより自由な発想で解体し、再構築する様になっていったのだ。そこから、破れたジーンズや穴の空いたTシャツを身にまとい、チェーンや安全ピン、スタッズで飾り立てたパンクファッションが登場し「ヴィヴィアン・ウエストウッド」の様なブランドが世界的な注目を集める様になる。
パンクファッションは、ディオールが提唱した「ニュールック」以降、図らずも女性を縛り付ける事になった「女らしさ」―優しい肩のライン、細いウエスト、裾広がりのスカートといった優美な曲線こそが女性の理想的な体形であり、ファッションはそのシルエットを演出するものだ、という固定観念からの解放であった。自らを束縛する全てを破壊しようとするクルエラがパンクファッションを身にまとうのも、だから理にかなった事ではあるだろう。映画の中盤、クルエラはバロネスが過去に作ってきたドレスをパッチワークし、全く新たな衣装を作り上げてしまう。こうしたアバンギャルドでアンシンメトリーなデザインは、コム・デ・ギャルソン川久保玲を思わせもする。1981年のパリコレクションで、コム・デ・ギャルソンヨウジヤマモトがデビューし、既成概念に捕らわれないカッティングとファッション業界ではタブーとされた黒を基調とする色使いで世界中に驚きを与えた。それは後年、「黒の衝撃」と評される事になるのだが、髪の毛を黒と白に染め分けたクルエラには、既にその萌芽を感じ取る事ができる。