事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ユホ・クオスマネン『オリ・マキの人生で最も幸せな日』

16mmのモノクロフィルムを使ってワンシーン・ワンカットで撮影したら「これはヌーヴェルヴァーグへのオマージュだ!」という事になって、カンヌで賞を貰えたりするんだから、チョロいもんだよな。IKEAの家具を揃えて「北欧風でお洒落~」とか言ってる馬鹿が大勢観に行くだろうから、日本でもそれなりに客が入るんじゃないの、ケッ!
…と、思わず憎まれ口を叩きたくなるほど、本作は「よく出来た小品」としてまとまっている。あまりにもまとまり過ぎていて過剰な部分が少しも無いのが不満だ。確かに、変な見世物小屋のシーンなど、良い場面はところどころある。板の上に載せられた女に向かって客がボールを投げると、その重みで板が倒れる仕掛けになっていて、女が板の下に置かれた水槽の中へ滑り落ちるのを観て楽しむ、とこう書いていても何が面白いのかさっぱり分からない遊戯に、主人公オリ・マキは恋人や友人たちと興じるのだが、やがて恋人が去り、ひとりになった彼がもう一度その小屋を訪れると、今度は凄いデブの女が板の上に載っていて、客が帰った後に舞台裏でずぶ濡れの身体を拭うその女の姿を目撃する。その時、世界戦に挑戦するボクサーとして、祖国の期待を一身に集める自分も、結局は彼女と同じなのだ、という事にオリは気づかされる。人々が求めているのは、リングという板の上に載せられたボクサーとしてのオリ・マキなのであり、ひとりの人間としてのオリ・マキではないからだ。誰も、舞台裏の姿など気にするはずもない。
と、まあこのエピソード自体は、ヌーヴェルヴァーグというよりフェリーニっぽい雰囲気もあって、なかなか印象に残るのだが、結局は主人公の心象風景として回収されてしまうのが物足りない。興行としてのボクシングというものにどうしても馴染めず、女の子との恋愛に夢中になってしまう、オリ・マキというキャラクターは面白いのだけれど、史実によれば、オリの対戦相手でフェザー級世界王者のデビー・ムーアは、オリと戦った7か月後に行われた防衛戦でのダメージが原因で死亡してしまう訳で、そのあたりの対比を描いても良かったんじゃないだろうか。要するに、主人公の価値観を揺らがせる様な他者っていうものが全然登場しないんだよね。