事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジェイク・カスダン『ジュマンジ/ネクスト・レベル』

 

1995年公開のオリジナル版『ジュマンジ』は、コマの止まったマスに書かれた事が実際に起こってしまう、呪われたボードゲームが巻き起こす騒動を描いた楽しい映画だった。虚構が現実を侵食する、という意味で、オリジナル版は『ポケモンGO』の様なAR(拡張現実)ゲームの登場を先取りしていた、と言えるかもしれない。
それに対し、2017年に公開されたリブート版『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』では、ボードゲームからTVゲームに進化し、プレイヤーは全員ゲームの世界へ否応なく吸い込まれてしまう。つまり、AR(拡張現実)からVR(仮想現実)へとゲームの内容が変わった訳だ。
ARからVRへ、という変化がゲームにとって進化なのかは分からない。実際、一時は話題になったVRゲームも、高額な本体機器や専用ゲームのクオリティのバラツキがネックとなり、なかなか普及が進まないでいるし、逆に『ポケモンGO』や『ドラゴンクエストウォーク』の様なARゲームの方が多くの支持を得ているからだ。映画としても、全く架空の世界を描いたリブート版より、現実世界に猿とかサイの大群が登場するオリジナル版の方が(特撮技術の時代的限界はさておき)面白いビジュアルを実現していた様に思う。
ただ、リブート版の主眼は、そこには無いのである。ゲームの世界に取り込まれた主人公たちは、現実そのままの姿ではなくゲーム開始時に選んだキャラクターへと変貌している。気弱なオタク青年はマッチョな冒険家に、SNSで自撮り画像をアップするリア獣女子は、チビでデブの中年男に、コミュ症気味の陰キャ女子はセクシーな女格闘家に、マッチョなアメフト選手はひ弱な動物学者に、という風に彼らは本来のパーソナリティをはく奪され、ゲームの設定に準じたロール(役割)を演じる羽目になるのだ。
このアイデアが、ネットワーク社会における匿名的なコミュニケーションに着想を得た事はすぐにお分かりだろう。例えば、MMOなどのオンラインゲームではゲーム開始時に自分の好きなアバターを選択、あるいは作成できるものが多い。そこでは、女が男に、老人が子供に、ひ弱なオタク青年がゴリゴリのマッチョに変身する事ができるのであって、仮想世界の中でプレイヤーは新たな自分として生きる事が可能となる。
そして『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』では、この経験こそが主人公たちを大きく成長させる事になるのだ。元々持っていた(と、思い込んでいる)パーソナリティを失い、全く別の人物として生きる事で、いつの間にか築いていた偏見や思い込みから解放され、自身や他者への新たな眼差しを獲得する。これこそ、実はオリジナル版『ジュマンジ』も持っていたテーマであり、リブート版はその志を受け継ぎ、TVゲームというフォーマットを利用してよりはっきりと描いている。例えゲームであろうと、その中で得た知識や経験、何かを成し遂げた自信は無駄ではないのだ。それは、現実の自分を変革する因子となり、心や身体に刻み込まれる。眼が悪くなるだの、頭が悪くなるだのといった無理解と戦いながら、いつの間にか中年ゲーマーとなった私には、これはなかなかに刺さるメッセージであった。
リブート版第2作目について語るスペースが無くなってしまった。続編は新たなキャラクターやステージが追加され、またジョブチェンジのシステムまで取り入れられた為、ゲームは更に複雑さを増し、主人公たちが繰り広げるドタバタ劇は更に混迷を極める。前作ほどの新鮮さは無いが、まあ順当な続編といったところだろう。TVゲームだって、この程度の追加要素でいくらでも続編を作ってきたのだし。それと、前作のラストで処分した筈のジュマンジを主人公がこっそり持ち帰っていて、里帰りした際にそれを起動させてしまう、という導入部にはゲーマーとして唸らされた。つまりこれ、久しぶりにレトロゲームをプレイしてみたくなる、ゲーマー心理というやつでしょう。昔ハマったゲームをまた遊ぶ事で、あの頃の自分に戻れるかもしれない、というのも非常によく分かる。この主人公の行動が不自然だというやつは、ミニスーファミメガドラミニも買った事がないのだろう。俺はどちらも持っている。

 

あわせて観るならこの作品

 

ジュマンジ [Blu-ray]

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今見るとさすがに特撮はショボイが、ロビン・ウィリアムスの怪演も含めて楽しめる1作。

 

どうせつまらん焼き直しだろ、という大方の予想を跳ね返し、オリジナル版を大幅にアップデートした一作。オリジナル版を観ていた人へのサービスも盛り込まれている。