事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ブライアン・シンガー他『ボヘミアン・ラプソディ』

 

権利的な問題で、一応は監督としてクレジットされているが、実際にはブライアン・シンガーは撮影途中で仕事をほっぽり出してクビとなり、残りをデクスター・フレッチャーが撮影したという。作家主義的な観点から映画に接している身としては、こうした誰が作ったのかよくわからない作品に出くわすと、些か面食らってしまう。とはいえ、このあたりのいかがわしい出自が何となくクイーンの伝記映画らしいとも言えるのだが。

そうした製作時のドタバタにもかかわらず、本作の完成度がきわめて高い理由は物語のクライマックス、約20分にわたるライブシーンを撮るところから映画の製作を始めた点にあるのではないか。大団円の演奏シーンに向けて映画の全ての要素が収斂していく構造は、こうした音楽映画ではよく見られる手法だが、その最も重要なシーンを最初に撮り終えたからこそ、監督が途中で投げ出しても残されたスタッフがゴールを目指す事ができたのだろう。

もちろん、こうしたベタな展開にはそれなりのリスクもある。クライマックスをドラマティックに盛り上げる為に、真に語られるべき事実がオミットされたり、都合のいい改変が加えられるかもしれない。実際、本作に対し、主にクイーンファンからその様な批判がなされている様だ。また、ここからは完全な憶測だが、フレディ・マーキュリーの同性愛をめぐる作中の描き方に、バイセクシュアルでもあるブライアン・シンガーは不満を覚えたのではないか。

ただ、その点をあまりに追及しすぎると、本作はフレディのアイデンティティをめぐる個人的な物語となり、クイーンの伝記映画としての完成度を損なってしまっただろう。クイーンというバンドの偉大さは、こうした個人の惑いや苦悩すらも取り込んで、誰もが共感できるポップミュージックに昇華させる、その貪欲さとバランス感覚にあったと思う。